せんだって書庫で古い雑誌の山をひっくり返していて見つけた。NHK交響楽団の前身、新交響楽団(新響)の定期会員向け月刊誌『フィルハーモニー』の1937年2月号。
この年の1月29日、新響は「邦人作品コンクール」予選通過五作品を日比谷公会堂で演奏した。指揮は常任指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトック。
演奏されたのは以下の五人のオーケストラ曲である。
荻原利次: 交響組曲「三つの世界」
平尾貴四男: 古代旋法による緩徐調
深井史郎: パロディ的な四楽章
諸井三郎: ピアノ協奏曲ハ長調
江文也: 俗謡に基づく交響的ヱチュード
『フィルハーモニー』2月号は、この公演日に刊行がぎりぎり間に合ったろうか。上記五人の自作に寄せる「作曲家の言葉」が掲載されている。ここから深井史郎の発言を引く。
『パロデイ的な四楽章』に寄せる四つの斷片 深井史郎
1.
けたゝましいトロムペツトが道化芝居の開幕をしらせる。場面は語りはじめる。
マニユエル・ド・フアリア様。あなたを生み、あなたが數々の創作の中で夢みられた美しいあなたの土地は、いまや砲火と殺戮の巷と化した様です。後再び、あなたが癈墟に立つて、かつてあなたが描いた庭や丘を見わたしたなら、あなたは涙なしには居られないでせう。これは崩れおちた錬瓦の山の上に足を踏みおとしながら、荒れ果てた四方を見て涙をおとしてゐるあなたの肖像畫です。
2.
イゴール・ストラヴインスキー様、私たちは随分あなたの輕業をみて来ました。随分突飛なこともあなたはなさりましたね。けれども輕業では、人の心を泣かすことも騒がすことも出来ないでせう。こないだ街をとほるチンドン屋を見て、ふとあなたの事を思ひ出しました。どうぞお怒りにならないで下さい。これはシルクハツトに燕尾服のいでたちでチンチンドンドンをやつて行く貴方の肖像畫です。
3.
モーリス・ラヴエル様。あなたはとうとう結婚なさりませんでしたね。婚禮の日に待てど暮せどその亭主がやつて來ないみたいだつて、罪のない孔雀をルナアル様と一緒にお嗤ひになつたあなたでしたが。しかし、私はあなた自身にこの孔雀を感じてならないのです。これはもう翅もぼろぼろになつた一匹の孔雀の繪です。失禮なことですが、顔はあなたに似せて書いておきました。(弱音器をつけたトロムペツトでこの孔雀が四回鳴きます。もうお婆さんなので昔の様な聲は出ません。)
4.
アルベール・ルツセル様。あなたを尊敬して居りますので、どうもこの肖像畫は書きにくうございました。御老體なのにエネルギーに溢れた作品をお書きになるのはほとほと感心して居ります。これはあなたが一人でビステキ(ママ)を四人前お平げになるの圖です。トロムペツトとトロムボーンが閉幕の相圖をするので、あなたは舞臺の上であわてゝ最後の大きい奴をほゝばりこむのですが、之は不幸なことに喉につかへてしまふのです。勿論苦しいのであなたはドタバタなされますが、この音はテイムパニに書いておきました。
作曲家の言葉
この作品は一九三三年、二十六歳の時の作。オリヂナルは二管編成のものであつたが、一九三六年三管編成になほした。積極的に西歐の大家の影響をうけることを意圖して書かれたもの。自分の管絃樂のための處女作であり、又色々な技法の實驗臺ともしたものである。原作にはもう一樂章あるが、之は効果上らず割愛することにした。この中に用ひられたピアノはさうとう動いてゐるが、あくまでもオーケストラの中の一樂器として取扱ふことに腐心した。
どうです、見るからに才気煥発な文章でしょう。「積極的に西欧の大家の影響をうけることを意図して」作曲する、という姿勢が凄い。実のところ、これは自己の腕前に対する並々ならぬ自負の裏返しの表明にほかなるまい。
このとき深井史郎はまだ二十九歳。もちろん、彼の書く音楽もまた、文章に優るとも劣らず、ウィッティで垢抜けて独創的に響く。
このとき演奏された「パロディ的な四楽章」が明日、彼の生誕百周年を記念して、六十四年ぶりに蘇演されるという。