(承前)
初めての創作『ノンちゃん雲に乗る』(大地書房、1947、のち光文社、福音館)が刊行されたとき、石井桃子は友人たちと宮城県鶯沢村で農業と酪農にいそしんでいた。
ちょうど終戦の日(1945年8月15日)から開墾の鍬入れを始めたというから、これは単なる疎開とはちょっと違う。戦時中の食糧難が契機になったとはいえ、「小さい農場を経営したい」という積年の夢を新しい友人と実現させたのだ。
御放送が終った。正午前と午後で、日本の運命が、がらっとかわっていた。私たちは、しばらく呆然として、自分たちにもわけのわからない涙をうかべていたが、ふしぎに、それからしようとしていることについては、ちっとも気もちがかわらなかった。私たちは、唐鍬と鋸をさげて、山道をのぼった。二十本の木を切りたおし、三坪ほどの土をおこした。力いっぱい、鋸をひいている上で、空がまっ青だった。美しいものは、ちっとも失われていない、と思った。
1957年の「『ノンちゃん牧場』中間報告」というエッセイの一節である。
都会を遙かに離れた農耕生活は、石井の心身を鍛えるとともに、彼女の創作活動にも、ある種の野趣と活力を付け加えたことは疑いない。さもなくば、『山のトムさん』(1957、光文社)のような、逞しい田舎猫の物語は書かれなかったろうし、エリナー・ファージョンなどの翻訳にも好ましい影響をもたらしたのではないだろうか。
戦争直後、わが児童文学界は息を吹き返し、俄かに活況を呈していたのだが、石井はそれらと距離を置こうとしていたようにもみえる。1940年前後に体験した図書館・出版活動の頓挫も、なお彼女のなかで禍々しい記憶として残っていたことだろう。
[…]日本の出版界は、ぱっと目をさましたように活動しはじめたらしいのですが、私はそのころ、東北の農村で畑を耕していましたので、日本と外国のあいだで、翻訳権の問題がどう進展していったのか、くわしくは知りません。[…]
あるとき、Eという出版社から、「『プー』の翻訳権の許可が我が社に降り、あなたの翻訳を使うことになったから、上京するように」という便りがありました。鉄道の切符もなかなか買えない時代だったので、苦労して上京してみると、E社には、イギリスの軍服を着て、明らかに軍人であると思われる人と、背広を着ていて、英語も日本語も話す、白人だが、イギリス人とは思えない名前の人と、戦前の長い期間を、日本ですごし、(そして、戦争中は、イギリスに帰っていたのが、日本が戦争に負けたので、また日本に戻ってきた様子の)イギリス系の人の三人がいて、日本人の社員は、社長以下、二、三人でした。
私は、そこの誰とも初対面でした。私は、いま私が二番めに挙げた、背広を着た人とテーブルに並んで坐り、「クマのプーさん」の日本語訳と、英文との読み合わせをし、翻訳は合格ということになりました。
「A・A・ミルンの自伝を読む」(1999)というエッセイで、石井はちょっと苦々しさを匂わせてこのように書く。「E社」こと英宝社は、訳者の石井に対してえらく居丈高だっただけでなく、印税不払いの不手際もあったらしい。
ともあれ、「熊プー」は戦後の日本に甦った。1950年2月20日、『熊のプーさん』刊行。同年5月10日、『プー横丁』刊行。カヴァー付き・函入りのしっかりした造本、函の装画は桂ユキ子が手掛けている。シェパードの挿絵もすべて入っているし、これはこれで悪くない。
さて管見の限りでは、石井の訳文は十年近く前の岩波版とほとんど変わらない。こまめに改訳する石井にしては珍しいことだが、急な話で、見直すゆとりがなかったのだろう。
違うのは、地の文ではなく、プーが唄う歌の部分、たとえば『熊のプーさん』の冒頭の次のような箇所だ。
(岩波版)
をかしいくらゐ
熊は蜜がおすき
ぶんぶんぶぶん
一體そりやまた
なぜなんだらう
(英宝社版)
ふしぎだな
ほんとに熊は
蜜がすき
ブン! ブン! ブン!
だけど、そりゃまた
なぜだろな
(岩波版)
すこしをかしい
考へだけど
もしも熊が
蜂だつたなら
巣を木の根もとへ
つくつただらう
だつてさうすりや
ぼくたちやなにも
こんなだんだん
のぼりやしないぞ
(英宝社版)
まったく妙な
考えだけど
もぅしも熊が
蜂ならば
巣を木の下に
つくったろ
そすれば、(蜂は
熊だから)
こんなにのぼらず
すむのにな
英宝社の名誉のために附言しておくが、同社は石井に翻訳の機会も与えている。
「白林少年館出版部」の処女出版だった懐かしい『たのしい川辺 Wind in the Willow』の新訳である。あのときは大先輩・中野好夫の達意の名訳だったが、これを自ら訳し直す。石井が大いなる意欲と緊張をもって仕事にかかったことは想像にかたくない。
ケネス・グレアム著、石井桃子訳『ヒキガエルの冒険』が刊行されたのは1950年9月30日のことである。「あとがき」には中野好夫に「一方ならぬお教えをうけ」た旨、記されている。
(つづく)