(承前)
盟友・尾崎秀実の逮捕を犬養健はどのような思いで受け止めたのだろうか。
彼は上海の寓居でその知らせを聴いたと思われるが、もはやなすすべもなく、ただ歯噛みするほかなかったろう。
そもそも彼がその樹立に奔走した汪兆銘南京政府は、思い描いていた「和平政権」とは程遠く、中国での戦火は止む気配とてなかった。米ソを含む諸外国は蒋介石の重慶政府支持の姿勢を変えず、南京政府には一顧だにしなかった。犬養道子が記すように、健の「日支和平工作は、意義と足場を次第に見失って行った」。
そして1941年12月8日、真珠湾への奇襲とともに太平洋戦争の幕が切って落とされる。
犬養健は1942年3月末、失意のうちに上海の住まいをたたんで帰国した。
福岡の飛行場に軍用機で到着した彼は、そこで妻子と合流すると、妻の故郷である長崎への家族旅行へと出る。このときの健の心中は明らかではないが、すでに司直の手が自らの身に及ぶ日が近いことを予見していたとも推察される。尾崎との交遊は隠れもない事実であるし、もうひとりの親友・西園寺公一は3月16日に逮捕されてしまっていた。
この長崎旅行の間じゅう、特高の尾行がついていたことがあとでわかった、と犬養道子は記している。
1942年4月、ついに犬養健は逮捕される。
そう。特高が令状を持ってわが家に踏みこんだのは、長崎から帰って一日おいた四月五日(と覚えている)の早暁であった。緊張した母が私を起こしに来た。「道ちゃん、すぐ起きなさい。パパが──」私は反射的に時計を見た。五時十分前であった。父はすでに、グレーの背広姿で、十数人の黒服の特高にかこまれて玄関に立っていた。顔つきはいつものままであった。「じゃ行って来るよ」框(かまち)でふとふりかえって母をじっと見たっけ。「御心配なく」と母はきっぱり言った。そして黒塗りの二台の車が玄関を出ると飛鳥の早さで父の書斎に駆け上った、「家宅捜査が来るよ、すぐ来るよ、道ちゃん早く」極秘書類を彼女は釜底に入れ米をぶちこむと炊いた。捜査は入れちがいに来た。
犬養は西園寺とともに、尾崎にとって最も有益な情報源であった。三人はともに近衛内閣のブレーンとして、いわば同僚だったわけで、あらゆる政治課題について腹蔵なく語り合う仲だった。そこで取り交わされた情報がそのままゾルゲ側に筒抜けとなったのだからたまらない。とりわけ、独ソ戦の開始直後、日本にソ連侵攻の意図はないことがソ連に伝わったことが重大であった(これは西園寺がもたらした機密情報だったという)。
犬養はまた、38年12月以降、尾崎とともに「支那研究室」を開設し、資金援助も与えていたため、この点でスパイ組織との関連を疑われたかもしれない。
5月16日、被疑者の取り調べが一段落し、事件の全貌が明らかになった時点で、司法省は「国際諜報団事件」の名のもとに事件の概要を公表した。
戦時下の日本国民の憤激はいかばかりだろう。国家の中枢にスパイが潜入し、利敵行為を行ったわけで、日本人協力者は赦しがたき売国奴だ、というのが大方の意見だったろう。
犬養道子は「その日以後、すべては変った」と記す。「その日」とは健の逮捕日を指す。
当時のつねとして、「政治国事犯」は正規裁判以前にすでに編笠手錠、三度許された「面会」の父は、手錠に結(ゆわ)えられた縄で曳かれて来た。変ったのは父の姿だけではない、世間と言うもの人間と言うもの、いかにそれらが手の平をかえして変ったことか。笑顔と世辞でうるさいまでに近づいていた人であるほど剣もほろろに去ったのである。[…]たれもかれも、かかわりあいを恐れて寄りつくのをやめた。家に石を投げ入れ、外出すれば石をほうり唾を吐く人に会うこともめずらしくはなくなった。母は静かに言った、道ちゃん、世間とはこう言うものです、驚いては駄目よ。
事件公表から一カ月余り経った6月27日、岩波書店から石井桃子訳の『プー横丁にたった家』が、ひっそりと刊行されている。米英との激戦が繰り広げられるさなか、よくぞ出版が許可されたものと驚くばかりだが、実はこの1942年までは、英米の児童文学の翻訳紹介が細々とながら続いていた。筑摩書房から光吉夏弥の翻訳で二冊の絵本、マンロー・リーフの『花と牛』(のちの『はなのすきなうし』)とイネス・ホーガンの『フタゴノ象ノ子』が出たのも、この年のことだった。
1933年の忘れがたいクリスマスから八年半。
『プー横丁にたった家』の石井の「あとがき」には、さすがに犬養家のことは出てこない。
一度は実現しかけた児童図書館「白林少年館」を復活させる夢は、もはや完全に潰えてしまった。何しろここはいまや「売国奴の家」なのだから。
ひっそり人影の絶えた四谷の犬養邸。だが、このようなときでも「そう言う『世間』に頓着なく、風雨のときの友として」、丘の上の家を訪ねた数少ない人物のひとりとして、犬養道子は「不変の友情で、家に来つづけた」石井桃子の名を挙げることを忘れていない。
(明日につづく)