(承前)
犬養家は戦前のわが国におけるトップクラスの名門である。祖父は大政治家、父は文学者という恵まれた環境のなかで、子供たちは何不自由なくのびのびと育っていた。犬養道子の回想を読むと、相撲をとるのが大好きな岸田劉生やら、「トンボみたいな顔の」川端康成やら、亡命中のヴェトナム国王やらが惜しげもなく繰り出されて、ただもう唖然としてしまう。
父・健の周囲にはリベラルな政治信条の持ち主が集まっていた。
道子の自叙伝第二作『ある歴史の娘』(中央公論社、1977)の「熊と切手」と題された章には、健が最も親しかった友人、尾崎秀実(ほつみ)と西園寺公一(きんかず)の二人のまつわる印象的な思い出が綴られている。その一節を引く。
公ちゃんは私がこのような「プライバシイを傷つける記事」を書くことを好まれない。私はそれをよく知っている。だから、彼がわれわれ一家の生活公私ともに大きく深く入りこんだ一事に筆を止めるが、尚ひとつのことだけは記しておきたい。なぜならそれは、彼と私たち姉弟との間に芽生えた友情が、やがて長く、今日に至るまでの日本じゅうの子供たち──読書を愛する子供たち──を益する大きな波紋に拡がって行ったからである。
一九三六年、昭和十一年(と覚えている)のクリスマス。姉弟の好みや性格を早々と知った公ちゃんは、オクスフォード大学出身らしい気品ある英文で献辞を書きこんだうす紅色の一冊の本を弟に贈ってくれた。「道ちゃんに読んでおいただきなさい」と附箋を添えて。
The House at Pooh Corner A. A. Milne
「ああ、こりゃチイグウのイギリス版だ!」
ねえお姉ちゃま読んでようとせがみつく弟の手前、知らぬ単語が方々にあるとも言いかねながら、私はE・H・シェパードの何とも可愛らしく童心と詩情に満ち溢れた挿絵にたちまち心を奪われた。プーってこの熊なの、この熊がどうしたの、ねえ早く、と弟はせきつき、やはり夢中になってひとつひとつの挿絵を眺めた。おお可愛いことと母も言い、どれどれと父は一晩、プーを寝床に持って行ってしまった。
次に石井さんが見えた時、姉弟は待っていたとばかりその本をさし出した。石井さんは、取りこわしまでにもはや間のない北のベランダの大きなユンケルストーブを背に、若い世代が住みついてからそこに飾られるようになった樅の香り高いクリスマスツリーぎりぎりに坐りこみ、はじめは何気なく、段々と異常な興味を示してその本をむさぼり読んだ。クックッとひとりで笑い、恨みがましく見ている姉弟に気づくと、あわてたように訳しはじめた。
「素晴しい本ね、これ。こういう子供の本は仲々ないのよ。いい本ねえ……」ややあって、
「しばらく貸して頂けない? ……康ちゃん。私、これ訳してみたいの……」
前回に引いた、弟の「康ちゃん」こと犬養康彦の回想と、細部までほとんど一致しているのに驚かされる。道子はこれを1936年のこととするが、これは記憶違いであろう。ちなみに、文中に出てくる「チイグウ」とは、道子が幼少の頃に溺愛した熊のぬいぐるみのことである。
(明日につづく)