(承前)
犬養道子の七つ違いの弟、犬養康彦は石井桃子との出会いをこう回想する(『Yom Yom』第2号「74年前のクリスマスの晩に」)。
日本女子大を卒業したばかりの石井桃子さんがうちにやってきたのは、僕が生まれた(一九二八年)直後、菊池寛さんの紹介でした。祖父・犬養毅の沢山の蔵書を整理する人を探していたのです。石井さんは在学中から菊池寛と親しかったし、僕の父・健(たける)は白樺派の作家でしたから菊池寛をよく知っていた。
一九三二年の五・一五事件で、時の総理だった祖父が暗殺されました。石井さんは事件直後に家に駈けつけてくれた、と姉(犬養道子)がのちに書いていますから、その頃には我が家にとって、単なる〈アルバイトのお嬢さん〉以上の存在になっていたのだと思います。
道子と康彦の母・仲子は長与善郎の姪にあたり、同じ白樺派の新進作家のもとに嫁いだつもりでいた。ところが、隠遁したはずの毅が乞われて政界復帰し、総理の座へと祭り上げられ、夫・健もそれを機に文士を廃業し、毅の秘書官を経て、やがて衆議院議員へと至るキャリアを開始する。
ところがそれも束の間、毅はあえなく凶弾に斃れ、現場に居合わせた彼女は「義父を庇うことなく死なせた不甲斐ない嫁」として、周囲の冷たい視線に曝される。その十年後の1942年、今度は夫がゾルゲ事件に連座して逮捕されてしまう。
[…]この何年かの間が、母の一番つらかった時期だと思いますが、そんな彼女のよい相談相手になってくれたのが石井さんでした。ナイーブで清潔で、かつリベラルなお嬢さんだった石井さんは、政治の世界の思惑もなければ、気取りも不要で、母にとっては本心を話しやすい、だいじな若い友人でしたでしょう。二人で座って静かに喋りあっている光景を今も憶えています。
あの穏やかで温厚そうな石井桃子もまた、激動の時代のなかで試練に耐え、自ら正しいと信じる道を毅然と歩もうとしたのである。
そんなある日のこと、その一冊の本は、まるで天啓のように、魔法のように、運命のように、彼女のもとに届けられた。
五・一五事件の翌年、一九三三年のクリスマスでした。父の友人で、やがて父や尾崎秀実さんともども近衛文麿首相のブレーンとなり、やはりゾルゲ事件で逮捕される西園寺公一さんが僕にプレゼントしてくれたのが「The House at Pooh Corner(プー横丁にたった家)」。薄いピンク色のカバーで、たしか見返しもピンク、そこに色鉛筆で「康彦君へ ママかみっちゃんに読んでいただきなさい 公一」と書かれていました。
それを手に取ったのが、石井さんにとって決定的に大きな意味を持つ、〈クマのプーさん〉との出会いです。その場に居合わせたのは幸せでした。僕の遠い記憶では、居間のコタツで、二十代半ばの石井さんに姉と僕がくっついて座って、石井さん自身が愉しんでいるのがわかる「くっくっくっ」という笑い声をあげながら、プーの滑稽な活躍を読んでくれるのを、甘えて聞いていました。後にも先にも、〈読み聞かせ〉をしてもらったのは、この〈プーさん〉だけだったので、僕の人生で本当に大切な思い出になっています。
(つづく)