戦前の子供の本を探すのは至難の業だ。
都市部の空襲で多くが失われたのは大人の本と同じだが、それ以上に、ぞんざいに扱われた揚句、読み捨てられ、早々と廃棄されたケースがきわめて多かったと想像される。アルスの「日本児童文庫」や興文社/文藝春秋の「小学生全集」のように大部数が流布したシリーズものを除けば、1940年代までのほとんどの児童書が今や稀覯本なのだといっても過言ではない。
1970年代から古い児童書を集めてきて、これぞ一期一会というほかない出会いが何度かあった。今日取り上げる二冊なぞはその最たるものだろう。
ケネス・グレアム作 中野好夫譯
『たのしい川邊』
白林少年館出版部
昭和十五年十一月二十一日發行
ロフティング作 井伏鱒二譯
『ドリトル先生「アフリカ行き」』
白林少年館出版部
昭和十六年一月二十四日發行
こうして並べて記載しない限り、この二冊の本は一見したところ似ていない。
サイズこそどちらも四六判だが、前者はハードカヴァー(失われているが、たぶん函入りか)、後者はボール紙並製・カヴァー付き、とそれぞれ異なるし、装丁も文字組も、全体の佇まいもずいぶん違う。
発行日に注目してほしい。欧州ではすでに戦火が広がっており、日本も中国各地で泥沼の戦を繰り広げていた。ちょうど一年ののち、「鬼畜」米英を相手にした無謀な全面戦争が始まる。
こうしたきな臭い時代に、のどかなユーモアを湛えた英国児童文学を世に問うことは、それ自体が時流に逆らう行為であり、勇気を伴うひそやかな「抵抗」を意味していたのではないか。
「たのしい川辺(ヒキガエルの冒険)」も「ドリトル先生」も、これらが日本初訳である。中野好夫、井伏鱒二という錚々たる翻訳陣がまず目をひく。訳文は双方とも柔軟にこなれていて読み易く、六十六年を経た今日の読者にとっても一向に古臭くないのは驚くばかりだ。
この二冊を刊行した「白林少年館出版部」とはまるで耳慣れない名だが、いかなる版元なのだろうか。
『ドリトル先生「アフリカ行き」』の「あとがき」で、井伏鱒二はそのあたりの事情を率直に明かしている。
この物語のドリトル先生といふ人は、正義を愛し、人を愛し、動物までも愛します。そこには寧ろ、東洋における巷間の聖者の面影が現れてゐます。私はドリトル先生のさういふ風格に痛く傾倒し、それで久しい以前からこの物語を飜譯してみたいと考へてをりました。
ところが、この書物を出版する石井さんといふ人が、今度から兒童用の圖書室を開設されることになりました。もうせん亡くなられた犬養さんの書庫を提供され、それを改造して塾のやうな家を造るのです。そして知り合ひのうちの子供さんたちを集め、童話を讀んだりお話をしたりして互に樂しい一と時を送らうといふのです。しかし心ある子供さんたちに讀んできかせるには、すぐれた童話でなくてはいけません。それで石井さんは自分の圖書室用の書物として、このドリトル先生「アフリカ行き」物語を選び、私に飜譯してくれと申されました。ドリトル先生に傾倒する私は、石井さんの兒童文學に對する好みに同感し、全く偶然の意見一致からドリトル先生の飜譯にとりかかることになりました。しかし私は多忙の身の上で、さうでなくても旅行ばかりしてゐますので、石井さんにいつさい下譯を頼みました。石井さんは自分の圖書室用のためですから、たぶん一生懸命に譯したことと思ひます。その下譯を私は自分の獨斷で、自分の好みのままの文章に改めました。この飜譯に杜撰なところがあるとすれば、それは獨斷で文章を改めた私の責任です。
(明日につづく)