何という気迫に満ちた演奏だろう。しかもその速さといったら! 「息もつかせぬ」名演とはまさしくこのことではないか。LP時代以来、おそらく二十数年ぶりで耳にしたポール・パレー&デトロイト響の『田園』に打ちのめされ、しばし言葉を失ってしまった。
とりわけ第一楽章。冒頭でいきなり聞こえるパレー自身の鼻歌声に驚く暇もないまま、超快速で開始された音楽はいささかもテンポを弛めずに、ハイリゲンシュタットの田舎道を駆け抜けていく。疾走するランナーさながら、そぞろ歩く散歩者たちを尻目に走り去るベートーヴェン。はたしてこれが「田舎に着いたときの愉快な気分」というものなのか。そもそも作曲家の指定した速度は「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」ではなかったのか。
念のため手元のスコアで確認してみると、後年ベートーヴェン自身がこの楽章に書き込んだメトロノーム速度は「二分音符=66」。この種の標記については、「速すぎる」として信憑性を疑う向きもあるのだが、あえてこれを遵守したとすれば、楽章全体(512小節)は、随所にあるフェルマータを考慮に入れても、およそ8分弱で演奏されることになろう(提示部を繰り返す場合は10分弱)。驚いたことに、パレーの指揮する第一楽章は7分46秒。まさに楽譜の指示どおりだったのである!
二楽章以降もパレーのテンポは総じて速く、キビキビとして淀みがない。全曲の演奏時間は35分33秒。これがディスク史上最速の『田園』だと即断はできないものの、古楽器による「原典主義」演奏が常識化した今日ならともかく、本録音がなされた1950年代には例をみない過激な快速演奏だったことは間違いない。これと比肩しうるのはヘルマン・シェルヘンのウェストミンスター録音(1958年、ステレオ再録盤)くらいだろうか。
実はパレーにはこの演奏のちょうど20年前、当時の手兵だったパリのコロンヌ管弦楽団を振ったSP盤の『田園』(1934年録音、仏コロンビア)も存在するのだが、そこでのテンポ設定は少々速めとはいえ、決して異例というほどではない(第一楽章に8分50秒ほどかかっている)。パレーはつねづね「どの作品にも唯一、正しいテンポというものがある」と明言していたというが、この『田園』の第一楽章に関する限り、「正しい」と信ずるテンポに行き着くまでに、彼は少なからぬ歳月を要したことになろう。それだけに演奏は揺ぎない確信に満ち、筋金入りの強度と速度を備えたものとなった。
パレーの解釈が真にユニークなのは、こうした速度設計が単なる物理的なスピードにとどまらず、濁りのない明快な音色や、際立った強弱のメリハリと結びついて、強靭無比な推進力を生み出す点にあろう。そこにはいかなる誇張も演出もなく、楽曲に内在する構築性が鮮やかに彫琢される。ひょっとしてパレーは、この曲が情緒豊かな標題音楽として聴かれるのを嫌ったのではないか。彼は虚心に楽譜と向き合い、複数の主題が綾なす調的ダイナミズム――その生成と発展のドラマを跡づけることに専心している。このような正攻法の演奏スタイルが、『エロイカ』や『運命』でなく、ほかならぬ『田園』で達成されているところに、パレーのベートーヴェン解釈の真骨頂をみる思いがする。『田園』が『運命』と並行して作曲され、同じ日に初演されたことの意味を、かくも端的に示した演奏はないのではないか。やはり偶数番の第四交響曲で、かつてムラヴィンスキーが同様の感慨を抱かせたことを想起せずにはいられない。
のっけから長々しい引用で気が引けるが、これはフランスの指揮者ポール・パレー Paul Paray(1886-1979)の知られざる名盤、ベートーヴェンの第六・第七交響曲のオリジナルLP(二枚)を覆刻したCD(Grand Slam GS-2010)に寄せた解説文の冒頭である。昨年春ひっそりと発売され、瞬く間にほぼ売り切れてしまい、早くも幻と化しつつあるCDである。
レコードのライナーノーツを執筆する機会が巡ってこようとは、夢にも思わなかった。評論家でも研究家でもない、一介の音楽好きにすぎない者にとって望外の出来事であり、それゆえに荷が重い作業だったのだが、古くからの知人である評論家・平林直哉さん(彼はこの Grand Slam レーベルのオーナーでもある)に強く勧められて、ふとその気になってしまった。彼は小生の以前からのポール・パレー好きを知っており、「ほかに書けそうな人がいないのだから」と、言葉巧みに勧誘したのだ。
パレーの「田園」はLP時代にさんざん愛聴したものだが、どこにしまい込んだのか、出てこない。そこで平林さんが状態のよい初版LPから覆刻したという試聴盤CD‐Rを送ってもらい、それを久々に聴いてみて、その率直で強靭な音楽づくりに心底打ちのめされた。上に引いた拙文はそのときの衝撃をありのままに綴ったものである。
久しぶりにこの文章のことを思い出したのは、昨日「音羽館」で購入した三浦淳史さんの著書『レコードを聴くひととき ぱあと2』に収録された、ポール・パレーの死を悼む文章を読んだのがきっかけである。この本は何度も手にしているはずなのに、不覚にも記憶していなかった。
「ポール・パレーのちょっといい話」と題された小文は、1979年10月10日のパレーの長逝を受けて、こんなふうに始まっている(初出は『ステレオ』誌1980年1月号)。
ポール・パレーが九十三歳と四カ月プラス十七日の天寿を全うされた。しかも一九七九年の初頭にフィラデルフィアのカーティス音楽院の招きで同音楽院の学生によって編成されている八十五名のオーケストラを一週間指揮して、若い音楽家の卵のトレーニングに当たった。九十歳代になっても十月から四月まで年間平均五十公演をふっており、一九八一年まで出演契約がきまっていたというから驚きだ。
このあと三浦さんは達者な筆遣いでパレーの面白いエピソードのあれこれをさらりと紹介する。
若い頃、作曲家を志してローマ滞在中にドビュッシーと出逢い、メディチ荘で語らったこと。フォーレとは格別に親しく、駈け出しの頃に祝福の手紙をもらったこと。
ラヴェルとモンテ・カルロで会ってカジノに誘ったとき、ラヴェルは「ノン、パレー。わたしは生涯で一度だけギャンブルをやって、勝った。それで充分なんだよ」と答えたそうな。もちろんこのギャンブルとは「ボレロ」を作曲して成功したことだ。などなど…。
パレーはデトロイト交響楽団の音楽監督を正確にいえば十一シーズンもつとめたのだが、シーズンが終わると、モンテ・カルロに帰るのを愉しみにしていたくらいだから、ついに彼の英語力はいっこうに上達しなかった。
九十二翁となって、カーティス音楽院の学生オーケストラを指導した際、若い学生たちの感謝と熱狂的な敬愛の情に応えるため、パレーが口にできる英語はただ一つしかなかった。それは "I love you!" だった。
いい話だ。三浦さんの語り口がまた絶品なのである。
つい最近、ちょっといかがわしい海賊盤CD-Rを手に入れた。
ポール・パレーが最晩年の1978年10月に92歳でそのカーティス音楽院の学生オーケストラを振ったときの実況録音だという。曲目はなんとベートーヴェンの「田園」である!
さあ、これからその演奏を聴いてみようと思う。