(2月20日のつづき)
そのちっぽけな二つ折りの紙片は何やら曰くありげで、小生も気になっていた。
表紙には上方に大きく
Меню Банкета(晩餐会メニュー)の文字が記され、囲み罫のなかには
Устраиваемого
Авиахимом, Добролетсм
и Центральной прессой
в честь
ЯПОНСКОЙ АВИАЦИОННОЙ
ЭКСПЕДИЦИЙ
в Доме Ученых
なる七行が読める。だが悲しいかな、小生にはチンプンカンプンだったのだ。
二つ折りを開くと、右半分にこまごまと晩餐のメニューが列記されており、左方の余白には鉛筆書きで日露の人物の署名がつごう十一人分、寄せ書きされている。日本人名は「安邉」「河内」「片桐」「篠原」「田中」と判読できる五人である。
このほか、裏表紙にも寄せ書きの続きと思われる何人もの書き込みがある。
宮本立江さんは興奮気味に言った。
「沼辺さん、これはたいへんなものですよ。1925年に朝日新聞がシベリア横断飛行を成功させたとき、日本の飛行士たちのためモスクワで催された歓迎会のメニューに違いありません。ここに署名している安辺・河内・片桐・篠原は、そのときの飛行士四人の名前ですから」
ええっ、そんなことがあったのか。知らなかったなあ。
博識の宮本さんはさらに続ける。「表紙のここに書いてある Авиахим(アヴィアヒム)とは『飛行化学協会』という変わった名称で、いわばアエロフロートの前身にあたるソ連の航空団体なんですよ」。
なるほど、そうか。たしかにメニュー裏面には、相馬正男のものかと思われる筆跡でこう註記してある。
「學者倶楽部ニ於テ日本飛行隊ノ為「アウィアヒム」「ドブロレョート」及中央新聞界ノ設ケタル宴會献立表」。
朝日新聞社の「相馬正男」とはつまり、その晩餐会の現場に居あわせた人物、ということになるのだろうか。
宮本さんは親切にも「このときの朝日新聞の大飛行については詳しい書物が最近出たはずです、たしか二巻本だったか…」とご教示下さった。
その日、小生が早速その本を探しに新刊書店へと走ったのは、言うまでもなかろう。
(まだまだつづく)