(1月15、17日よりつづく)
つくづく「ウィキペディア」は凄いなァと感心する。メリー・ホプキンの唄った「悲しき天使」について調べていて、アメリカ版 Wikipedia の "Those Were the Days" の項目を読んでみたら、そこに思いもよらぬ驚くべき事実が書かれていた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Those_Were_the_Days_%28song%29ここに記された内容と、そしてこの記事からリンクが張られている
Pat Richmonds 氏のサイトの記述とから、われわれが「悲しき天使」と呼ぶこの歌の、それまでに経てきた「地球的規模」の長い遍歴について、そのあらましを知ることができた。今日はそれについて書こう。
ウェールズ出身のフォーク歌手メリー・ホプキンをポール・マッカートニーに紹介したのは、ファッション・モデルで歌手のトウィッギーなのだそうだ。アップル・レコードを発足させ、同レーベルからデビューさせる女性歌手を探していたマッカートニーは透明で繊細なホプキンの歌声に惚れ込み、この18歳の少女に白羽の矢を立てる。
そもそも "Those Were the Days" はホプキンの持ち歌ではなかった。マッカートニーからいきなりデビュー用にあてがわれたお仕着せ曲なのだ。マッカートニー自身は偶然この曲をロンドンの「ブルー・ランプ Blue Lamp」というパブで知った。たまたまそこに出演していた米人ソングライター、ジーン・ラスキン Gene Raskin 夫妻がこれを唄うのを聴いて、いたく心惹かれていたのである。1965年頃のことだ。
ジーン・ラスキン作詞・作曲になるこの "Those Were the Days" は、すでにアメリカのグループ、ライムライターズ Limeliters が1962年にレコーディングしていたというが、そのときはほとんど話題にもならず、マッカートニーがこれをホプキンの最初のシングル盤に、と考えた1968年の時点で、少なくともロンドンではまだ「誰も知らない、手つかずの新曲」同然だった。
ところで、この曲の楽譜に記された「ジーン・ラスキン作詞・作曲」が曲者である。このクレジットは半分が偽りだったのである。
真相はどうやら以下のとおりだ。この曲のメロディはロシア語の歌詞がついた「長い道」という歌曲からそのまま採られていて、その「長い道 Дорогой длинною」は欧米在住の亡命ロシア人の間ではそれなりに親しまれていたという。「ロシア民謡」とも「ジプシー歌謡」ともいわれ、いわば「詠み人知らず」となったこの歌を偶然どこかで耳にしたジーン・ラスキンは、そこに自作の英詞を嵌め込み、あたかもオリジナル・ソングのように自分の持ち歌として方々で歌っていた、ということらしい。
そういえば、と今頃になって気づく。たしかに「悲しき天使」の哀愁漂う旋律はアメリカン・ポップスにしては異色すぎる。聴けば聴くほど東欧のジプシー・ソング、あるいはユダヤ人の奏でる「クラズマー」音楽っぽい、悲しく鄙びた響きがする。
実はこの「長い道」は民謡などではなかった。日本でしばしば誤って「ロシア民謡」と呼ばれる多くの歌がそうであるように(「カチューシャ」「モスクワ郊外の夕べ」)、これはプロの作家の手で書かれた、れっきとした「作品」(西欧風にいうならポップソング)だったのである。
作詞家はコンスタンチン・ポドレフスキー Konstantin Podrevsky/ Константин Николаевич Подревский(1888–1930)、作曲家はボリス・フォミーン Boris Fomin/ Борис Иванович Фомин(1900–1948)といった。「長い道」は1924年にモスクワで書かれ、ほどなく二種類のレコーディングを通して、ソ連国内は無論のこと、国外でも亡命ロシア人の間で流行歌(カバレット・ソング)として親しまれた。"Дорогой длинною"の冒頭の歌詞はこんな具合である。
Ехали на тройке с бубенцами,
А вдали мелькали огоньки…
Эх, когда бы мне теперь за вами,
Душу бы развеять от тоски…
Дорогой длинною, погодой лунною,
Да с песней той, что вдаль летит звеня,
И с той старинною, да с семиструнною,
Что по ночам так мучила меня!
兵頭ニーナさんの訳詞を引かせていただく(出典は山之内重美「黒い瞳から百万本のバラまで ロシア愛唱歌集」ユーラシア・ブックレット31、東洋書店、2002)。
青い月影の道
あなたを追いかけて
鈴ならすトロイカを
ひたすら追いかけた
夜ごと歌うギターの調べ
あなたへの愛の歌
長い道のかなたまでも届けて
この想いを
驚いたことに "Those Were the Days" の原曲「長い道」は、遠く去って行った恋人を偲び、満たされぬ想いを切々と唄う「失恋ソング」だったのである。
こうなるともう、「木枯らしの街をゆく/ひとりぼっちの私」で始まる漣健児の「悲しき天使」のセンチメンタルな詞を嘲うことはできない。これこそ、オリジナルのロシア歌曲の心に叶った「正しい」歌詞だったのかもしれないのだ。
(続きはまた明日)
■ 追記(2015年3月)
拙ブログの投稿のうちで、当エントリーはいつもアクセスが途絶えない人気記事である。これは往年の大ヒット曲「悲しき天使」のルーツを探った連載のひとつなので、以下に関連エントリー名とリンクを列挙しておこう。興味が湧いたなら、ぜひ他の記事もご参照いただきたい。
→悲しき天使はどこから来たか (当記事/2007年1月20日投稿)