初めて訪れた街を歩いていて、既視感というほどではないが、「こっちの方角に行くと、何かありそうだ」という勘がはたらくことがある。とりわけ、知らない土地で古本屋を偶然見つけ出すことにかけては、ちょっとばかり自信があるのだ。
ずいぶん前に、仕事で熊本を訪ねたとき、少し時間があったのでホテル近くをふらついた。アーケード街をずんずん歩いていくと、町並がいい感じに寂れてきて、いかにも由緒ありげな古書店に行きあたった。入った途端、これは凄いぞと直感。大田黒元雄が第一書房から出した瀟洒な音楽書をはじめ、戦前の珍しい書籍が嘘みたいな安価でずらり並んでいたのだ。
金比羅宮に詣でた折りのこと、昼食を済ませて門前町をぶらぶら散歩したら、廃業寸前のうらぶれた本屋がぽつんと一軒。期待できないが、もしかしたら…と思い、恐る恐る入ってみた。
半分が新本、半分が古本という、地方によくある業態の店だが、もう雑誌以外は入荷しておらず、新本の棚も色褪せていた。聞くとどれも定価の半額だという。そう言われても欲しい本は皆無だなあ、と見渡すと、なんと一角に至文堂の「近代の美術」がごっそりある。70年代に60冊出たこのシリーズも疾うに全点絶版、けっこう探しにくく、時には数千円もする。それがここでは一冊わずか二、三百円だ。「岸田劉生」「萬鉄五郎」「竹久夢二」「青木繁と浪漫主義」「フュウザン会と草土社」「恩地孝四郎と『月映』」「日本の前衛美術」…手当たり次第に買い求め、旅行鞄に詰め込んだものである。
こうした第六感はどうやら海外でも通用するらしい。
1993年、初めてロンドンを訪れたときも、なんの予備知識もなしにチャリング・クロス・ロード界隈に迷い込み、「この路地はきっと面白そうだ」と足を踏み入れたら、そこには児童書の古本屋やら音楽古書の専門店やらバレエ・ダンス関係の書店やらが、ところ狭しと軒を連ねていた。これこそ、名にし負う古本街、セシル・コート(Cecil Court)だったのである。
http://www.cecilcourt.co.uk/これに味をしめて、以後はロンドンへ出かけるたび、セシル・コート小路に足繁く通うようになった。児童書や絵本の古本屋 Marchpane は勿論のこと、そのはす向かいの Dance Books にもバレエ・リュス関係でずいぶん世話になった(この店は引っ越して今はもうない)。
最も忘れ難いのは、音楽古書と古楽譜の専門店 Travis & Emery Music Bookshop での掘り出し物。ふと思い立って、ケン・ラッセルのTV映画「夏の歌 Song of Summer」の原作であるエリック・フェンビーの回想録 "Delius As I Knew Him" の旧い版を探したのだが、それは見つからず、かわりに1962年のディーリアス音楽祭(生誕百年記念)プログラムという珍品を発掘した。トマス・ビーチャムの歿後、このフェスティヴァル開催に尽力したのは指揮者ルドルフ・ケンペ。そのほか、メレディス・デイヴィスが「村のロミオとジュリエット」を振っているし、なんと若き日のジャクリーヌ・デュ・プレが参加しているのには驚いた。
もうひとつ、これは最後に訪れた2003年夏のことだが、さしたる収穫もなく、諦めて店を出ようとしたが、悔しいのでポケット版楽譜の棚を漁ってみたら、ディーリアスの合唱付き管弦楽曲「アパラキア Appalachia」の譜面がみつかり、安価だったから購入した。
ちょっと疲れたので近くのカフェで一服し、包みから先ほどの楽譜を取り出してみて愕然とした。表紙には小さく黒のゴム印が捺されていて、そこに"The Property of Charles Groves" の文字が読み取れたからだ。慌てて頁を捲ってみたら、随所に鉛筆の書き込みがある。どうやらこれはディーリアスを得意とした名指揮者チャールズ・グローヴズ卿(1915-1992)愛用のポケット譜だったらしい。
(続きはまた明日)