今日こそは溝口健二に酔いしれるのでは、との淡い予感を胸に、またしてもフィルムセンターへ。
お目当ては、夙に傑作の呼び声の高い『マリアのお雪』(1935)。トーキー最初期、溝口はデビュー間もない山田五十鈴をヒロインに据えた作品をたて続けに撮っている。本作と同じ年の『折鶴お千』(これはサイレント)、翌年の『浪華悲歌』『祗園の姉妹』と、どれをとっても感嘆すべき出来映えなので、期待しないほうが無理というものである。
結果は予想を遙かに上回った。息を呑むような瞬間の連続、ぞくぞくするようなショットに次ぐショット。まるで生き物のように艶かしいフィルムだ。プリントの状態は芳しくなく、サウンドは劣悪なのだが、そんな悪条件をものともせず、めくるめくような眩惑的な場面が繰り出される。
モーパッサンの『脂肪の塊』を翻案し、舞台を西南戦争当時の熊本に置き換えた脚本がはなはだ秀逸。戦火を逃れ疾走する乗合馬車、森の中での銃撃戦、囚われた者たちの人間模様など、ハリウッド映画と見紛うほどに垢抜けた手際のよい描写に驚嘆。戦前の溝口のモダンな感覚をしたたかに思い知らさせる。
物語は敵方たる官軍の将校(夏川大二郎)と、彼を密かに慕う二人の田舎酌婦(山田五十鈴、原駒子)との叶わぬ恋路を縦糸に、メロドラマティックに展開するのだが、そこには甘やかな感傷は微塵もない。抗うことのできない運命に対する、諦念とも忍従ともつかない溝口の冷厳な眼差しが、観る者を粛然とさせずにはおかない。十八歳という若さで、すでに人生を達観したような表情をみせる山田五十鈴の凄さ。なんという女優だろう。これには誰もが言葉を失う。
観終わって外へ出ても、すぐには現実に戻れない。銀座通りをしばし茫然と歩く。
そのあと地下鉄で池袋へ。明日ウィーンに向けて旅立つ Boe君の送別の宴を兼ねて、三十年来の友人たちが参集して忘年会を催す。参加者総勢九名。これだけの人数が集まるのは夏以来なので、あれこれ積もる話が尽きない。居酒屋を二軒はしごして、延々と飲み食いかつ歓談。二時から十時四十分までが瞬く間に過ぎた。