「パシフィック・クロッシング」のパーシー・グレインジャー特集もいよいよ最終日、日曜日の映画上映から数えて今日は四日目になる。思えばわが人生で最初(でおそらく最後)のグレインジャー漬けの一週間だった。
トリを務めるのは豪州生まれのピアニスト、レズリー・ハワードのオール・グレインジャー・リサイタル。会場は一昨日と同じ、自由学園明日館の美しい講堂である。
レズリー・ハワード Leslie Howard はグレインジャーと同じメルボルン出身、現在はロンドンを拠点に活躍するピアニストで、超絶的な技巧をもって知られる。CD97枚という膨大な「リスト・ピアノ曲全集」があまりに名高いため、彼が同郷のグレインジャーを得意にしていることは案外知られていないが、オーストラリアのABCレーベルに二枚のグレインジャー・アルバムを録音している。今回はこの「パシフィック・クロッシング」のために来日し、東京と金沢でだけグレインジャーを演奏する。スペシャリストの生演奏に触れる、まことに得がたい機会なのである。
今夜のプログラムもまた、実に充実した内容だった。
第一部:オリジナル作品
1) ストランド街のヘンデル
2) 私のロビンは緑の森に
3) モック・モリス
4) ハーヴェスト・ヒム(収穫讃歌)
5) 北国の姫君へ
6) 組曲「早わかり(In a Nutshell)」
*到着ホームの鼻歌
*楽しくも切なく
*牧歌
*ガムサッカーズ行進曲
第二部:民謡編曲とトランスクリプション
7) ユトランド民謡メドレー
8) もう一日、わがジョンよ
9) サセックスの仮装役者のクリスマス・キャロル
10) 騎士と羊飼の娘
11) 陽気な王様
12) アイルランド、デリー州の調べ
13) 岸辺のモリー
14) 軽やかな鐘の音(バッハによる)
15) 「薔薇の騎士」終幕の愛の二重唱によるランブル(シュトラウスによる)
16) ダオメーにて(アーサー・プライアーほかによる)
17) 忍び寄る恋(ガーシュウィンによる)
18) マーチ=ジグ「マグワイアの抗議」(スタンフォードによる)
Encore) カントリー・ガーデンズ
いやはや、書き写すのが難儀なほど盛り沢山、しかも一昨日のコンサートとは一曲も重複しない。グレインジャーの全貌を明かすに足る、見事な選曲である。
これはCDでも薄々感じていたことだが、現代屈指のヴィルトゥオーゾ・ピアニスト、ハワードの手にかかると、グレインジャーのピアノ曲の超絶技巧がおのずと強調されることになる。グレインジャー自身、名ピアニストとして赫々たるキャリアを築き、これらの作品も自らの演奏用に書かれたことを思えば、これは至極まっとうな演奏スタイルといえるかもしれない。
もちろん、ハワードの演奏が単なる名技の開陳にとどまるわけではない。グレインジャーならではの豪放磊落も、快活闊達も、繊細優美も、ここぞという聴かせどころでしっかり克明に表現されていた。とりわけ、6)の「早わかり」の四つの曲の性格づけと弾きわけは見事であり、なるほど、グレインジャーを知り尽くしたピアニストの演奏とはこういうものか、と感じ入った。
後半のアレンジものになると、いよいよハワードの腕は冴えに冴えまくり、終盤近い15)や16)では、もうこれ以上はあるまいという凄い技巧と構えの大きい表現が繰り出され、ただただ聴き惚れるばかり。
大いに感服したし、充分に堪能もした。
そのうえで、ひとつだけ無いものねだりをさせてもらうなら、グレインジャーの音楽に潜む底知れぬ悲愁や、名状しがたいメランコリーがハワードの演奏にはきわめて希薄だった。それなしには、たとえば2)のような曲は、ただ穏やかで平明なだけの小品で終わってしまう。さしもの名手の腕前をもってしても、こればかりは如何ともしがたかったようだ。そして、ことグレインジャーに関するかぎり、この欠如は瑕瑾といえないような気がするのである。
ともあれ、グレインジャーに明け暮れる、夢のような一週間が過ぎ去った。これから先、生演奏のグレインジャーに感動することが果たしてあるだろうか。もう十二分に聴いたかって? そうかもしれない。あとはサイモン・ラトルがベルリン・フィルを率いて来日し、グレインジャーの「戦士たち」を演奏する日を夢想するばかりである。
今回の企画の実現に尽くされた藤枝守さんと柿沼敏江さんに、改めて感謝の意を申し述べたい。こんなコンサートが開かれるのだから、東京って街もまんざら捨てたもんじゃないな、と思えるのだ。