今日から始まる一週間は特別な日々。わが鍾愛の作曲家パーシー・グレインジャー Percy Grainger(1882-1961)にちなんだ演奏会や映像上映が立て続けに行われる。「パシフィック・クロッシング」という音楽イヴェントが今年のテーマに選んだのだ。グレインジャーの母国オーストラリアならいざ知らず、ここ日本でこのような奇特な企てが催されるなど、ちょっと信じられない思いだ。企画者の藤枝守さんや柿沼敏江さんに感謝申し上げたい。
というわけで、初日の今日は、渋谷のアップリンクにて、グレインジャーの伝記映画「パッション Passion」の上映会。1999年オーストラリアで製作された映画で、もちろん今回が日本初公開となる。市販DVDからの投射映像、しかも字幕なしという上映形態だが、事前に企画者の二人と宮澤淳一さん、ピアニストのサラ・ケイヒルさんの懇切なプレトークがあった。
監督/ピーター・ダンカン Peter Duncan
脚本/ドン・ワトソン Don Watson
原作戯曲/ロブ・ジョージ Rob George "Percy & Rose"
配役/
リチャード・ロクスバラ Richard Roxburgh(パーシー・グレインジャー)
バーバラ・ハーシー Barbara Hershey(ローズ・グレインジャー=母親)
エミリー・ウーフ Emily Woof(カレン・ホルテン=ピアノの弟子、恋人) ほか
映画はグレインジャーの青春時代にあたる英国滞在期に焦点を定め、コンサート・ピアニストとして名声を確立しつつ、イギリス民謡への興味を募らせ、作曲家としてのキャリアも開始するという、決定的な一時期を描いている。
よく知られるように、彼は典型的なマザコン青年であり、母ローズの溺愛の対象であった。幼時からの「ステージ・ママ」たる母親とつねに一緒に演奏旅行し、彼の行動はことごとくその監視下にあった。陽気で活動的な「外向きの顔」とは別に、グレインジャーにはサド・マゾヒスティックな性癖があり、私生活では恋人と鞭打ちプレイに興じ、それを写真に撮るなどしていた。
これらの伝記的事実はすべてジョン・バード John Bird の著した有名な評伝(1976/99)に詳述されていて、こと新しい知見はほとんどないのだが、恋人との鞭打ちにふけるグレインジャーを映像として見せつけられるのは、なんとも言えない気分。ちょっと正視に堪えない感じだ。
困ったことに、この映画はたいへんな駄作である。バードの提示する伝記的事実に沿って短いエピソードがただ羅列されるだけで、演奏家、作曲家、民謡収集家、マザコン男、サドマゾ愛好家…といったさまざまな相貌をひとつに統合する視点がないために、まるで映画としての体をなしていないのだ。
説明に汲々とするばかりで、いかにも底の浅い台本。短すぎるショットで物語の表面をただなぞるだけの演出。どちらも始末に負えない惨憺たる出来だ。活人画や菊人形の映像版と思えば、まあ間違いなかろう。
ああ、これがケン・ラッセルの演出だったらなあ…と上映中に何度となく嘆息。彼なら決してこうはすまい、有無を言わせぬ確固たる人間像を提示し、グレインジャーが紡ぐ快活な音楽と、その秘密の性生活とを一繋がりの現象だと納得させてくれたはずだ。ケン・ラッセルは実際に1980年代の後半、パーシー・グレインジャーの伝記映画を構想していた一時期があった。残念ながら、他の多くの企画と同様、それは実現には到らなかったのであるが…。
客席に作曲家の鈴木治行さんが居られたので、終了後お茶を呑みながら、上記の鬱憤をぶちまけた。話に辛抱強くつきあって下さった鈴木さん、ゴメンナサイ。
外は篠つく雨。寒々しく、風邪をひきかねない一日だった。