近所の書店へ出かけたら、お目当ての本は見当たらず、新刊の棚でぜんぜん違う一冊に手が伸びた。
フレッド・アステア自伝 篠儀直子訳 青土社 2006
こんなものが出ていた。新聞を取ってないので、新刊情報にとんと疎いのである。
さっそく読了。素晴らしい書物だ。
原書は Fred Astaire,
Steps in Time, An Autobiography, Harpers and Bros., 1959 という。ペーパーバックで架蔵しているし、ずいぶん前に、拾い読みだがざっと目を通したこともある。平易な英語で書かれているのだが、コロキュアルなくだけた表現が多くて、けっこう難儀したのを覚えている。こうして日本語で読めるのが嬉しい。しかも篠儀さんの訳文は達意のしなやかさ、アステアが日本語で語ってくれているようにしか思えない。
刊行年代から察しられるように、これはアステア六十歳のときの自叙伝であり、このあと彼は三十年近く生きて、「フィニアンの虹」や「タワーリング・インフェルノ」に出演、「ザッツ・エンターテインメント」正続篇で進行役を務め、ビング・クロズビーとの共演レコードを出し、栄光に包まれた晩年を過ごしたのち1987年に長逝した。
アステアの生涯は姉とともにヴォードヴィルやミュージカルに出演した舞台芸人としての前半生と、1933年の「ダンシング・レディ」に始まる映画スターとしての後半生とに大別される。本書でも頁数の半分が若き日のショービズ生活に割かれていて、そこでの記述がめっぽう面白い。才能ある姉アデルのパートナーとして幼時からこの世界に入り、数々の浮き沈みを経験した彼はさりげなくこう記す。
幸運だった? 時々は。不運だった? 時々は。
わたしが思うに、最も重要なものは運ではない。姉とわたしは自力で道を切り開かなければならなかった。簡単なことではなかった。
運よりも大事なのは、強い意志と忍耐力だ。そこに才能が加わればうまく行くだろう。すぐあきらめたりするな。喰らいつけ。それがわたしのアドヴァイスだ。
そのとおりの人生だ。ノエル・カワード、ジョージ・ガーシュウィン、ハーミズ・パン、アーサー・フリード、そしてジンジャー・ロジャーズ…。綺羅星のごとき「脇役」たちがアステアの生涯を彩り、きらめかせるのだが、自伝の筆致はいささかもドラマティックでなく、どんな出遭いに対しても淡々と、それが自然な成り行きであるかのように記述する。水のようにサラリとしていて、運命に逆らわない、無欲恬淡とした態度。そこがなんとも恰好いいのだ。
だいぶ以前に出たボブ・トーマス著『アステア ザ・ダンサー』(武市好古訳、新潮社、1989)も好著だったが、この自叙伝はそれにも増して、この不世出の(20世紀最大の、と言いたい)エンターテイナーの素顔と肉声をまざまざと伝えてくれる。
アステアの生前に、その至芸に痺れた者のひとりとして、心ときめかせながら一気に通読した。
もちろんCD "The Best of Fred Astaire"(Epic)の屈託ない歌声を繰り返し聴きながら…。