1964年4月23日はウィリアム・シェイクスピアの生誕四百年にあたっていた。
いきなり註釈を加えておくと、シェイクスピアの正確な誕生日は判明していない。記録に拠れば1564年4月26日に小邑ストラットフォード=アポン=エイボンの教会で洗礼を受けており、生まれたのはその数日前、ということしかわからないらしい。ともあれ、四百年後のこの年はイギリスじゅうがこぞって文豪の偉業を偲ぶ一年だったようで、この日を期して「シェイクスピア・フェスティヴァル」が開幕し、各地で芝居の連続上演はもとより、シェイクスピアに基づくオペラ、バレエ、映画の上演・上映、記念展覧会やコンサートなどのイヴェントが相次いだ。
こうして盛り上がるシェイクスピア熱に圧される形で、英国郵政省も重い腰を上げざるを得なくなったようだ。創業以来124年も守り続けてきた鉄則をついに曲げるときがきたのである。この日、全英の郵便局で "Shakespeare Festival" の開催を記念するという名目で(つまり、あくまでシェイクスピア生誕四百年記念ではなく)、五種類の記念切手が発売された。それぞれ「真夏の夜の夢」「十二夜」「ロミオとジュリエット」「ヘンリー五世」「ハムレット」の名場面をあしらい、最高額の「ハムレット」以外の切手には、額の禿げ上がった有名なシェイクスピアの肖像が、ちょうどエリザベス女王の肖像と向かい合うように配されたのである。イギリス切手に国王以外の、特定の個人の似姿が登場するのは、実にこのときをもって嚆矢とする。
シェイクスピアほどの著名な文化人ともなると、記念事業はイギリス一国にとどまらない。この年、アメリカ、ソ連、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニアなど、欧米各国が競って「生誕四百年」の記念切手を発行したのである。
これは面白い偶然だが、シェイクスピアの生まれた1564年には、イタリアでガリレオ・ガリレイが生を享けている(2月15日)。さらに驚いたことに、ガリレオが誕生したわずか三日後の2月18日にはミケランジェロが八十九歳の生涯を閉じているのである! つまり1964年という年は、ルネサンスの生んだ三大天才が生まれ・死んでからちょうど四百年という、百年に一度の節目の年にあたっていたことになる。
商売熱心な各国の郵政当局がこのことに気づかないわけがない。とりわけ社会主義国は切手で外貨を稼ぐことにことさら熱心だったから、上記のソ連と東欧各国ではミケランジェロ、ガリレオ、シェイクスピアの記念切手のデザインを統一し、セットものとして売り出すことを目論んだのである。
小学六年生になった小生は、この年に開催された東京オリンピックにはさしたる興味を示さず、その副産物たる空前の切手ブームにも懐疑的だったのだが(可愛くないガキだ!)、遠い異国の地でつぎつぎに発行される「ルネサンス三巨人」の記念切手にはいたく心躍らされた。
とりわけ、チェコスロヴァキアが発行した凹版印刷の三枚組には、ほとんど狂気乱舞せんばかり。この国の切手は、他の多くの国が多色刷りのグラヴィア印刷にうつつを抜かしているのを尻目に、フランス、アメリカ、北欧諸国とともに頑なに旧来の凹版印刷(銅版画やお札の印刷と同じく、精細緻密な刻線の重なりで絵柄を表現する)にこだわり続けていた。
このときのルネサンス三役揃い踏みセットは、1960年代のチェコ切手のなかでも出色の、惚れ惚れするほどに見事な出来映え。しかも、デザイン的には大胆に遊んでいて、幼心にも「これは宝物だ!」と快哉を叫ばずにはいられなかった。
(明日に続く)