四歳のときから切手を集めている。だから今年でちょうど収集歴五十年になるわけだ。レコードよりもロシア絵本よりも年期が入っているはずだが、ここ二十年ほどは「折に触れてちょこっと買う」程度なので、とても切手収集家とは自称できない。
最初の出会いはアメリカ切手。父宛てに届いた郵便物の包装や封筒を貰い受け、水に漬けて剥がし、ワシントンやフランクリンやリンカーンをノートに糊で貼りつけては遊んでいた。小学生になってお小遣いが貰えるようになると、近所の郵便局で行列して記念切手を買うことを覚えた。ほどなく日本切手のデザインや発行方針が陳腐に思えてきて、フランスやイタリアや東欧諸国の切手に惹かれ出す。
おりしも米ソの宇宙開発時代が到来し、宇宙飛行士の切手に熱を上げたこともある。ソ連の飛行士の名前読みたさに、キリル文字の読み方を自修し、小学五年のときにはもう Гагалин や Терешкова の綴りが判読できた(そこから先へは未だに進めないのだが)。中学生になると、トピカル・コレクション(テーマを決めた収集)の醍醐味を覚え、世界各国の科学者切手、音楽家切手、美術切手の収集に打ち込んだ。
日本では東京オリンピック(1964)の前後に空前の切手ブームがあり、クラスメイトのほとんどが切手集めに関心を示す一時期もあった(生意気な小学生だった小生は傍らで冷ややかに静観した)が、しょせん子供たち中心のブームゆえ長続きせず、数年経ったら周囲では誰一人切手集めする者はいなくなっていた。かつては都内のどのデパートにも切手売場があったものだが、近年はめっきり見かけなくなった。今では新宿の京王デパートに辛うじて存続しているくらいだろうか。
昨日、小旅行の行き帰りに読んだ内藤陽介の『満洲切手』(角川選書、2006)は、そうした小生の衰えかけた情熱を再燃させるに充分な、たいそう刺激的な一冊だった。内藤さんはまだ三十代の若さで「郵便学者」を名乗り、切手を中心とする郵便資料を駆使した読み応えある著作を次々に送り出している俊才である。彼の開発した方法論とは、一枚の切手から国家イデオロギーやプロパガンダ性をイコノロジー的に読み解き、それが貼られた封書・葉書については捺された消印や送付状況(運ばれたルート、所用日数、検閲の有無など)から、用いられた当時の社会情勢を浮き彫りにするという、緻密にして手堅い実証的手法である。
これまでに読んだ『外国切手に描かれた日本』(光文社新書、2003)、『切手と戦争:もうひとつの昭和戦史』(新潮新書、2004)、『反米の世界史』(講談社現代新書、2005)、『皇室切手』(平凡社、2005)は、どれもこれも内藤さんの方法論の有効性をまざまざと見せつける、スリリングなうえに説得力あふれる名著ぞろい。今回の新著は「満洲国」とその切手という、禍々しくも重たい主題を扱ったものだが、これこそは彼が高校生の頃から二十年以上かけて暖めてきて、自家薬籠中のものとしたテーマであり、おそらく満を持して世に問われた一冊と推察される。
内藤さんの筆は例によって冷静沈着である。満洲国の成立から崩壊までの十三年を委曲を尽くして語るいっぽうで、発行された一枚一枚の「満洲切手」を恐るべき眼力で読み解き、実際に用いられたカヴァー(封筒)や葉書を詳細に検討する。彼自身は満洲国が傀儡国家であるか否かについて断言を避けているが、そこから浮かび上がるのは、人為的に捏造された国家の、奇怪にして不可思議な相貌である。
満洲切手にはその版図をデザインしたものが多いのはどうしてなのか。満洲国皇帝・溥儀はいちはやく切手図案として登場するが、その服装に民族色が皆無で、つねに普通の洋装であるのはなぜか。満洲国の祭神として天照大神をまつった「建国神廟」の建物が満洲切手に描かれなかった理由は何か。内藤さんはこうした些細な問題を単なるトリヴィアと捉えず、そこからこの急ごしらえの国家のあまりにも特異な実相を鮮明に焙り出す。
これまでの五十年間の切手収集で、小生は一度も満洲切手に手を出したことがない。なんとなく恐ろしげで不可解で、触れるのすらためらわれたのである。たったひとつの例外は、小学生時代、カバヤキャラメルだったかのオマケについてきた奇妙な一枚である(1944年発行)。小さな印面には達筆な筆文字でこんな文言が書かれていた。「日本之興即満洲之興」(日本の興は満洲の興)。このメッセージが何を意味していたか。それもこの本を読んで初めて知ることができた。永年の胸のつかえがおりた感じだ。
語られる歴史そのものの重圧に、読み進めるのがしんどいのは事実だが、内藤さんの解読手法はますます鮮やかに冴えて快刀乱麻。日本人にとって必読の一冊といいたい。