明日は講演会だというのに、何をどう話せばよいのか、未だに考えがまとまらない。こんなことで大丈夫なのだろうか。まあ、実際にお客様の顔を見たら、言葉が口をついて出てくるはずなのだが…。
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出先から戻ると、郵便受に『彷書月刊』の最新号(十一月号)が届いている。神保町の珈琲屋で南陀楼綾繁さんにお会いして、当ブログについてインタヴューを受けたのが9月19日。ついこの間のような気がするが、早いものでもう活字になってしまった。
「ぼくの書サイ徘徊録」という、ネット上の「書物サイト」を紹介する連載に、この「私たちは20世紀に生まれた」を取り上げたいのだが、と打診されて、正直言って少々たじろいだ。まだ始めて日も浅いし、好き勝手な話題をただ綴っているだけなので、はたして論評に値する内容なのか、まるで自信がもてなかったからである。その気持ちは今も同じだ。
さっそく封筒を開け、頁を捲っておそるおそる一読。
自分の書いた原稿でなく、自分について書かれた記事を読むのは、とても奇妙な気分だ。
「(仕事を辞めて)自由な立場になったこともあり、自分がその半分を過ごした二十世紀の芸術について、改めて考えてみようという気持ちになりました。このブログは、あくまでも一人の〈受け手〉=ファンとして、自分がなぜそれを好きになったのかというルーツをたどっていくことを目的としています」などと語っているのが、このワタクシなのかどうか、なんだか判然としなくなる。
インタヴューは二時間に及んだが、南陀楼さんは録音は一切とらず、広げたノートに何やらちょこちょこ書きつけるだけ。こんなやり方で大丈夫なのかなあ、と思ったものだが、こうして出来上がってみると、う~ん、さすがに上手にまとまっているなあ。ダラダラとりとめのない雑談をギュッと圧縮して、話にちゃんと筋道がついている。みごとな腕前に感服。
ともあれ、せっかく好意的に取り上げて下さったのだから、当ブログもこれまで以上に頑張らねば。とはいっても、「好きな話題を、好き勝手に書く」という姿勢は変わらない。変わりようがないのだ。