(承前)
「一杯の珈琲から(原題=小さな国境往来)」はフィクションであるが、ケストナーとトリーアが1937年夏にザルツブルクで過ごした実際のヴァカンスを、かなり忠実に反映していると考えてよさそうだ。
主人公ゲオルクがザルツブルクに到着したのは、フェストシュピーレも終盤に近い8月20日のこと。翌日からは友人カールに伴われ、観劇と演奏会通いに精を出す。小説のなかでゲオルクが出かけた芝居・オペラ・演奏会を抜き出してみよう。
8月21日(土) フェルゼンライトシューレ ゲーテ「ファウスト」
8月22日(日) 大聖堂 ベートーヴェン「ハ長調ミサ」 ほか
8月23日(月) フェストシュピールハウス ホフマンスタール「イェーダーマン」
*大聖堂前広場での野外公演が雨天のため変更となった。
8月24日(火) (会場不明) モーツァルト・アーベント
*ベルンハルト・パウムガルトナー指揮、交響曲第29、第36番 ほか。
8月25日(水) フェストシュピールハウス リヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」
8月29日(日) 大聖堂 モーツァルト「レクイエム」
このなかにはゲオルクがカールとでなく、知り合ったばかりの恋人コンスタンツェと一緒に聴いた演奏会も含まれているのだが、実際にはすべて、ケストナーが親友トリーアと一緒に出かけた演目だったのであろう。もちろん、これ以外にもいろいろ聴いているはずだ。何しろ二人は招待客扱いで、どの演し物も入場無料だったのだから。
連日わくわくするような体験の連続だったようだが、今日のわれわれからみて最も羨ましく思われるのは、25日の「薔薇の騎士」であろう。ケストナーはさりげなく「レーマンは感動的にうたった」と記すのみであるが、さぞかし豪奢にして甘美な舞台だったに違いない。記録を紐解いてみると、この日のキャストは以下の面々だったらしい。
元帥夫人=ロッテ・レーマン Lotte Lehmann
オクタヴィアン=ヤルミラ・ノヴォトナー Jarmila Novotná
ゾフィー=エステル・レーティ Esther Réthy
オックス男爵=フリッツ・クレン Fritz Krenn ほか
オーケストラはウィーン・フィル、指揮はハンス・クナッパーツブッシュ。
う~ん、これはきっと素晴らしい舞台だったはずだ。この日の実況録音が残されていないのがなんとも残念だが、一世一代の当たり役と評されたロッテ・レーマンの元帥夫人がどんなだったかは、有名な1933年録音の全曲盤(短縮版)や、1939年のメトロポリタン歌劇場でのライヴからあらかた想像がつく。チェコ出身のノヴォトナーはオクタヴィアンを得意としていた人だし、ハンガリー出身のレーティもこのときの可憐なゾフィー役や「フィガロ」のスザンナ役が評判になったという。クナッパーツブッシュの指揮はどんなだったろう? こればかりはちょっと想像がつかない。われわれが聴きうるクナの「薔薇の騎士」は1955年の録音しかないからだ。
客席にいたケストナーもトリーアも、これがまさかレーマンの元帥夫人を観る最後の機会になってしまうとは、思ってもいなかったろう。先述したように、トリーアは次年度の祝祭で舞台美術を手がけることになっていたのだから、ケストナーとしては「来夏もまたザルツブルクでトリーアと一緒に…」と楽観的に思い描いていたはずだ。
1938年3月、ヒットラーによるオーストリア併合はすべての目論見を潰えさせた。
祝祭の立役者だったトスカニーニもワルターも、ナチス支配下のザルツブルクには決して足を踏み入れなかった。ロッテ・レーマンも反ナチの姿勢を明らかにし、もうこの街に戻ってくることはなかった。
前年にトリーアが祝祭当局と交わした約束が反故にされたのは言うまでもあるまい。
1937年夏、ザルツブルクが放った鮮やかな光芒は、長い夜の闇を目前にした夕映えの残照だったのである。
(もう一回つづきます)