(承前)
1937年のザルツブルク音楽祭については、オペラ上演時の実況録音が奇蹟的に残されている。驚いたことに、どれもが全曲である。
*モーツァルト「魔笛」トスカニーニ指揮(7月30日)
*モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」ワルター指揮(8月2日)
*ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」トスカニーニ指揮(8月8日)
*ヴェルディ「ファルスタッフ」トスカニーニ指揮(8月9日)
*モーツァルト「フィガロの結婚」ワルター指揮(8月19日)
全部を聴いたわけではないが、音質もこの時代としては上等で、この年のザルツブルクでどんな凄い競演が行われたか、その最も重要な部分を実際に音で確かめることができる。トスカニーニとワルターの芸風の違いも、はっきり聴き取れる録音である。
ところが、その舞台裏ではトスカニーニとワルターとの間で、熾烈な言い争いがなされていた。モーツァルトのオペラはどう演奏すべきか、についての議論ではない。もっとアクチュアルで、もっときな臭い話題をめぐって、両雄は口角泡を飛ばしたのである。
この年のザルツブルクでは8月27日、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮でベートーヴェンの「第九」が演奏されることになっていた。トスカニーニはこれに猛反発したのである。よりによって、なぜあいつなのだ。第九ならワルターでも私でも指揮できるぞ。 ムッソリーニ政権ときっぱり袂をわかった彼としては、ナチス支配下のドイツにとどまって、枢要な地位に居続けるフルトヴェングラーの立場をとうてい理解も容認もできなかったのである。
結局、ワルターが仲裁役となってトスカニーニをなだめ、演奏会は予定どおり行われたのであるが、憤懣やるかたないトスカニーニは、ザルツブルク街頭でフルトヴェングラーに面と向かって、「第三帝国内で指揮棒をとる者はみなナチとみなす」と言い放ったという。
芸術家といえども政治と無縁ではない。それどころか、芸術家の営みは時の政権や国家体制によって常に管理され、掣肘を受ける。われわれの時代、芸術は容易に国家宣揚や政治宣伝のプロパガンダと化してしまう。ヒットラー体制下でベルリン・フィルを統率し、バイロイトのピットに入ることが音楽家にとって何を意味するのか。フルトヴェングラーはあまりに政治と芸術の力学にナイーヴすぎる、トスカニーニの眼にはそう映っていたに違いない。
狂気と殺戮がはびこる第三帝国に留まるべきか、決然と立ち去るべきか。
この重たい問いは、フルトヴェングラーのみならず、あらゆるドイツ知識人に向かって投げかけられていた。ザルツブルク音楽祭の客席で、エーリヒ・ケストナーもまた、同じ自問自答を心中深く繰り返していたはずである。自作の出版を許さない政権下にあって、はたして作家であり続けることは可能なのか。亡命作家として生きるほか術はないのではないか。事実、1933年以降、ケストナーの作品はドイツ国外でしか刊行されていない。隣りの客席で舞台を見つめている盟友ヴァルター・トリーアは、とうに亡命の道を選んでしまった…。
(もう少しつづく)