(承前)
1937年夏、ベルリンに住むゲオルク(エーリヒ・ケストナー)は、ロンドンに亡命したカール(ヴァルター・トリーア)と示し合わせてザルツブルクで落ち合い、観劇と音楽鑑賞で楽しいヴァカンスを過ごした。ザルツブルクのフェスティヴァルは例年どおり7月から始まっていたのだが、ゲオルクは出国手続きや為替の申請で手間取ってしまい、この街に着いたときには8月20日になっていた。祝祭の会期もあと十日を残すのみである。
トリーアは祝祭当局から招待されているので、どの演目も木戸御免、好き放題に観ることができた。幸い招待券はいつでも二枚用意されていたので、同行のケストナーもその恩恵に浴することができた。そもそも、ドイツから現金を持ち出せないケストナーは、切符代はおろか、レストランやカフェの支払いも、すべてトリーアに頼りきりという情けない境遇なのだ。
小説のなかでは、主人公ゲオルクがカールと落ち合うカフェをうっかり間違え、いつまでも現れぬ友人をやきもきしながら待つ(なにしろ珈琲代が払えない)うちに、栗毛と青い眼をした美女と遭遇し、思いもよらぬロマンスが芽生える…というふうに話が進展するのだが、その先は文庫本で読んでいただくことにして、ここでは1937年のフェスティヴァルにもう少しこだわってみたい。
われわれは「ザルツブルク音楽祭」と呼び慣わすが、これは本当は正しくない。
Salzburger Festspiele (ザルツブルクの祝祭)はもともと演劇と音楽を束ねた祭典であり、1920年に第一回が開催された際はホフマンスタールの芝居「イェーダーマン」(マックス・ラインハルト演出)ただ一本が舞台にかけられた(今でもこの戯曲は毎年必ず上演されているはずだ)。やがて、この街が生んだ神童に敬意を表し、モーツァルトのオペラや管弦楽曲が演奏されるようになり、後年にはもっぱら音楽の祭典とみなされるようになった。
1937年のフェストシュピーレは7月24日から8月31日まで開催され、オペラと演劇では以下のような演目が上演された。
【新演出】
*モーツァルト「魔笛」
*モーツァルト「フィガロの結婚」
*ウェーバー「オイリアンテ」
【再演】
*ホフマンスタール「イェーダーマン」(演劇)
*ゲーテ「ファウスト」(演劇)
*モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
*ベートーヴェン「フィデリオ」
*グルック「オルフェオとエウリディーチェ」
*リヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」
*リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」
*ヴェルディ「ファルスタッフ」
*ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
何よりも凄いのは、これらのオペラを振るコンダクターたちの顔ぶれだ。
「魔笛」「フィデリオ」「ファルスタッフ」「マイスタージンガー」はアルトゥーロ・トスカニーニ。
「フィガロ」「オイリアンテ」「ドン・ジョヴァンニ」「オルフェオ」はブルーノ・ワルター。
「薔薇の騎士」と「エレクトラ」はハンス・クナッパーツブッシュ。
トスカニーニとワルターがザルツブルクでオペラを振るのは、この夏が最後の機会となった。翌38年3月、ナチス・ドイツはオーストリア併合を強行し、それからというもの、ユダヤ人のワルターはもちろんのこと、ナチス嫌いのトスカニーニも、二度とこのフェスティヴァルに招かれることはなかったからである。
(つづく)