(承前)
ベルリンに住むゲオルク(ケストナーの分身)のもとに英国から一通の便りが届く。
カールがロンドンから手紙をよこした。八月の半ばごろザルツブルクで落ちあわないか、というのである。ザルツブルクの祝祭記念興行本部では、来年の舞台装置をカールにやらせようという魂胆で、彼を招待したのである。興行本部の連中はこの機会に一度彼に会っておきたいし、彼にも上演を見ておいてほしいというわけである。それでひととおりの上演演目に対して、招待券を二枚ずつくれる約束になっていた。久しくわたしは劇場を訪れない。出かけることにしよう。
ケストナー『一杯の珈琲から』小松太郎訳、創元推理文庫 より
このカールについてはロンドン在住の画家であるという以上に説明はないのだが、つまりこれがヴァルター・トリーアなのだ。トリーアは諷刺画や本の挿絵で有名になったが、舞台美術とも縁が深く、若い頃マックス・ラインハルトのシャウシュピールハウス(ベルリン)のためにバレエの装置・衣裳を手がけたほか、1931年(『点子ちゃんとアントン』『五月三十五日』が出た年)にはケルンの歌劇場でスメタナの「売られた花嫁」の美術を担当している。ザルツブルク音楽祭当局が彼に目をつけたのも一向に不思議ではない。
ところで、ザルツブルク行きを誘われたゲオルク、すなわちケストナーの側には厄介な問題があった。
当時のドイツ(もちろんナチス・ドイツ)では、国外に出る旅行者に一箇月あたり十マルク以上の持ち出しを許可しないという方針だった。当時の十マルクがどれほど価値があったか詳らかにしないが、文中に「そんなものが何の役に立とう?」とあるから、はしたがね同然の金額だったようだ。主人公は為替管理局ののろい対応に業を煮やし、現金を携帯せずにザルツブルクへ赴くことにした。
つまり、こういうことだ。ゲオルクは独墺国境に近い街バート・ライヘンハルに宿をとる。ここからザルツブルクまでは目と鼻の距離。彼は毎朝ライヘンハルのホテルを出て、国境を越えてザルツブルクに入る。ただし、現金は持たずに、である。そして夜になると、また国境を越えてドイツ領内に戻ってくる。国内では現金が使えるので、食事や買物に不便することもない。「ライヘンハルでは大名暮らし、ザルツブルクでは一文なしの貧乏暮らしをするのだ。しかも毎日大名になったり、乞食になったり、なんという喜劇的な境遇だろう!」。
この小説がドイツ語で "Der kleine Grenzverkehr" すなわち『小さな国境往来』と題されているのは、すなわちこうした事態を指しているのである。
(次回に続く)