(承前)
それにしてもこの本の邦題はいただけない。『ケプラー疑惑─ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録』とくれば、ティコ殺害の容疑者はケプラー、動機は観測記録欲しさから、と読む前から見当がついてしまい、こちらとしては大いに興醒めである。原題は "Heavenly Intrigue: Johannes Kepler, Tycho Brahe, and the Murder Behind One of History's Greatest Scientific Discoveries" と、ちゃんと節度をわきまえているのに。
それにしてもティコ・ブラーエ(1546-1601)とヨハネス・ケプラー(1571-1630)は同じ天文学者でも水と油ほど違う。片やデンマーク貴族、片や居酒屋(旅籠を兼ねる)経営者の息子という出自の差もさることながら、両者はそれぞれの学風というか、研究スタイルがまるで対照的だったのだ。
自ら天文台を開設し、さまざまな観測器具を開発し、こつこつ天体観測にいそしんだティコは、自分の観測結果しか信じない、根っからの実証主義者。永年にわたるデータの積み重ねこそが天文学の進展に寄与すると信じていた。一方のケプラーはといえば、もっぱら直観的に思弁を重ねるタイプ。視力が弱かったこともあり、ほとんど天体観測を行わなず、ひたすら先験的ヴィジョンに導かれて壮大な宇宙論を夢想した。緻密な観察・実験と大胆な仮説・推論とは、近代科学者にとって欠かせない二大要素といえようが、本来なら同居すべき二つの資質が、16世紀末の天文学ではティコとケプラーという両極端に分裂して現れたというべきかもしれない。
このあまりにも異なった二人が文通を通じて親交を深め、短い期間ではあったが、曲がりなりにも共同研究を行ったという事実は、天の配剤の妙味であるとともに、両者の資質の違いを知る者にとっては大きな驚きである。
ティコとケプラーの運命的な出会いと協働作業、その間の相克と確執については、アーサー・ケストラーの不朽の名著『夢遊病者たち The Sleepwalkers』(1959)でも縷々語られていた。
ケストラーの見方はこうである。コペルニクスからガリレオに至る近世の天文学者たちはみな、誤謬に満ちた仮説や途方もない妄執にとらわれながら、自分がどこへ進もうとしているのか理解せぬまま、あたかも「夢遊病者のごとく」真理へと導かれていったのだ、と。
この魅力的な(しかし議論の余地のある)所論を展開するうえで、ケストラーが最も多くの頁を費やしたのが、ほかならぬケプラーの矛盾に満ちた生涯についてであった。「惑星の数が六つ(水・金・地・火・木・土)なのは何故か」と自問し、惑星軌道を確たる証拠もなしに五つの正多面体と関連づけた空想家ケプラー。惑星の運行には妙なる協和音が潜んでいて、宇宙全体は天空の音楽で満たされると結論づけた神秘主義者ケプラー。彼こそは思い込みと謬見にどっぷり浸りきった「夢遊病者」の典型例だったからだ。
残念なことに、ケストラーの『夢遊病者たち』はいまだに日本語で読めないのだが、最もよく書けたこのケプラー伝については、かつて優れた邦訳が出たことがある(『ヨハネス・ケプラー 近代宇宙観の夜明け』小尾信弥・木村博訳、河出書房、1971)。ティコとケプラーの緊張を孕んだ関係については、ケストラーによっておおむね論じつくされた感がある。今回の『ケプラー疑惑』の著者ギルダー夫妻も、ほぼ同一の資料に基づいて伝記的事実を積み重ねる。ただし、ケストラーがティコを傲慢不遜な貴族、ケプラーを悩める真理探求者とみなしたのに対し、ギルダー夫妻はティコを高潔な紳士と捉え直す一方で、ケプラーに対しては、名声を渇望するサイキックな卑劣漢との烙印を押そうとする。つまりは殺人者だというのである。
ティコはかつて訪問者に観察データを盗み見られ、未発表の学説を無断で出版されるという苦杯を舐めたことがあった。そのため、手許にある記録類の管理には人一倍注意を払っていた。ケプラーはせっかく共同研究者として招かれながら、ティコが過度の秘密主義に走って、自分が最も調査研究したい火星の運行記録を見せてもらえないことに、苛立ちと失望を覚えていた。
だからといって、ケプラーにとって、当代随一の大天文学者であり、自分を共同研究者としてプラハに呼び寄せ、皇帝ルドルフ二世に推薦までしてくれた大恩人でもあるティコを、こともあろうに殺害するなど、いくらなんでもありえない話ではないのか。
『ケプラー疑惑』の著者たちも、「犯行の動機と手段」の章で、この問題を可能な限り掘り下げようととしている。ティコの周辺、とりわけプラハの宮廷内外に他に容疑者はいないのか。当時のケプラーの挙動から、師に殺意を抱くほどの憎しみや決意は読み取れるのか。そもそもケプラーは水銀を含む毒物を有効に取り扱うことができたのか、などなど。
その結果、ティコの身辺にあって彼に恨みを抱いており、薬物調合の心得(医術や錬金術)があって、毒物を飲食物に混入する機会のあった人間はただひとりしかいない、と結論づけたのである。
本当だろうか。なんともいえない気がする。近年に起こった砒素カレー事件ですら立件にあれだけ苦労したのだから、四百年前の薬物中毒死を、状況証拠だけから殺人事件と認定し、下手人を名指しするのはもとより不可能なのである。本書がけっして際物ではなく、丹念な調査に基づき誠実に書かれていることは認めよう。それなのに、この腑に落ちない読後感はなんだろう。執筆の動機に、「真犯人探し」という不純さがつきまとうからなのか。
さっき書庫から、すっかり背が色褪せたケストラーの『ヨハネス・ケプラー』を発掘してきた。久しぶりにこれを再読し、二人の「夢遊病者」ティコとケプラーの接近遭遇について考えてみるとしよう。