今日は深夜近い帰宅となった。六本木の森美術館で明日から始まるビル・ヴィオラの回顧展「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」のオープニングに出かけ、そのあと会食に誘われたりして、すっかり遅くなってしまった。
アメリカのヴィデオ・アーティスト、というよりも今や現代美術界の巨匠の一人として認知されたビル・ヴィオラだが、わが国ではこれまで作品の公開が散発的にしか行われず、国際的な名声に比して、一般的な認知度は今一つだった。かくいう小生も、旅先のロンドンで何度かヴィデオ・インスタレーションに遭遇しただけなので、ほとんど未知の作家と出会う心持ちで足を運んでみた。
展覧会のオープニング・プレヴュー(内覧会)というのはどうも苦手だ。じっくり観たくとも、せいぜい二時間ほどしか開館していないうえに、必ず誰かしら顔見知りに出くわし、挨拶したり立ち話したりで、少しも作品に集中できないのである。今日もその制約を感じつつ、限られた時間内での鑑賞しかできなかったわけだが、それでもこの展覧会が必見であることだけは断言できる。
1990年代以降、ヴィオラは「パッション(情動=受難)」と名づけた一連の映像インスタレーションを手がけているのだが、そのインパクトの強烈なること、どれも甲乙つけがたい。追いつめられた心理状況下での人間の表情や仕草を超スローモーションで捉えた作品群。荘厳にしてパッショネイトな人物描写は、ルネサンス期の祭壇画を彷彿とさせる、というか、むしろその時ならぬ再来といいたいほど酷似している。
最新作「ラフト/漂流」(2004)では、バス停で佇む(ようにみえる)市井の人々めがけて、猛烈な水流がなんの前触れもなく襲いかかる。誰もが抗しきれずに、なぎ倒され、くずおれ、横たわる。あまりに唐突で不条理な出来事というほかない。だが今やそれが、いつなんどき誰の身にも起こりうるのだ、と思い至ったとき、ビル・ヴィオラの映像は黙示録的なまでの峻厳さで、観る者に重たい問いを投げかける…。
もう一度、今度はじっくりと時間をかけて観に来よう。それも心身のコンディションが万全の日に。さもないと、激烈な作品に圧倒されかねないから。