第一楽章「バビ・ヤール」で、身の毛もよだつホロコーストを糾弾したエフトゥシェンコ=ショスタコーヴィチは、続く「ユーモア」で被抑圧者が生きぬくための智慧を、「女たち(商店にて)」で買い出しの行列に耐える逞しいロシア女性を、「恐怖」ではソ連社会に蔓延する怖れを物語り、そして最後の「出世」では、ガリレオを引き合いに出しながら、真の立身出世とは何かを問う。
一時間に及ぶ長大な交響曲は、ダンテの地獄巡りさながら、人間のもろもろの邪悪と愚行を見据え、それらを激越に、深刻に、アイロニカルに告発する。そして終楽章のコーダに至って、ショスタコーヴィチの音楽は天上的に澄みきった不思議な静寂へとたどりつく。あたかも、あらゆる罪深さや愚かしさが音楽の力で浄化され、遂には赦しの時が訪れるのだ、と語っているかのように。
初めて耳にしたこの「禁じられた交響曲」に、小生が異常なまでに反応し、深くコミットしてしまったのは、それを耳にした1968年という年代がやはり色濃く影を落としていた。四十年近くたった今、つくづくそう思う。
泥沼化するヴェトナム戦争と、それに加担する日本政府への失望と苛立ち。
世界各地で激化する学生の反体制運動。街頭デモとロックアウトの日常化。
チェコスロヴァキアでの民主化運動と、それに賛同する文化人たち(作家クンデラ、指揮者アンチェル、スポーツ界のザトペック、チャスラフスカら)。そしてそれを一夜にして蹂躙したソ連軍(建前は「ワルシャワ条約機構軍」)のチェコ侵攻(8月20日)。
ソ連国内では作家ソルジェニーツィンが「反国家的」と指弾され、著作の刊行が禁じられていた。ひそかに持ち出された原稿が西側で出版され、この年から翌年にかけて、日本でも矢継ぎ早に翻訳刊行されていく(「イワン・デニーソヴィチの一日」「煉獄のなかで」「ガン病棟」)。
こうした絶望と閉塞感の漂う重苦しい空気のなかで、60年代末に「バビ・ヤール」交響曲と出会ったことは決定的だった。このときの痛切な聴取体験は、「時代の刻印」として深く心に刻まれ、良くも悪くもその呪縛から生涯逃れられない気がする。
(つづく)