今朝(14日)は所用で電車を乗り継いで世田谷・経堂へ出向く。昼過ぎまでかかって、来月の小イヴェントの打ち合わせ。
そのまま帰宅してはつまらないし、雨も上がったので、ちょっと寄り道して竹橋の東京国立近代美術館へ。大原美術館と同館の両コレクションを組み合わせた「モダン・パラダイス」展を開催中だ。
ふと思い立って、2~4階の常設展示をわざと先に観ることにした。いつもなら鎮座しているはずの名作のあれこれが不在なので、「ああ、これもパラダイス行きなのだな~」と思う。重要作品がかなり抜け落ちているはずだが、にもかかわらずこの充実ぶり。さすが近美だなあと感心。
最後に1階まで降りてきて、お目当ての「モダン・パラダイス」展へ。ちょっと必要があって大原美術館のモネ「睡蓮」をじっくり観たかったのだが、会場に入るといきなり出くわした。ずいぶん久しぶりだなあ。そもそも大原のコレクションを別の場所で観ること自体がきわめて珍しい。
この展覧会の眼目は、ふだんは隣り合うことのない東西両館のコレクションをミックスし、シャッフルすることで、さまざまな対比・衝突・融合・共鳴を生じさせ、新鮮な出会いをもたらすところにあるはずだ。で、結果はどうだったか。それが呆れるほどに退屈なのだ。これにはがっかり。
この種の展覧会では、全体の構成(セクション分け)とともに、個々の作品の組み合わせが成否を分かれ目となる。今回の展示のつまらなさの原因は、おそらくその両方にあるように思う。「光あれ」「まさぐる手・もだえる空間」「心のかたち」など五つのセクションは、いかにも急ごしらえで、作品群を統御も活性化もせず、思いつきの域を出ない。それでは個々の作品間で火花が散ったかというと、それも大いに怪しい。随所に仕掛けたつもりのモネ(大原)vs 春草(近美)、劉生(近美)vs マティス(大原)、靉光(近美)vs ピカソ(大原)、ゴーギャン(大原)vs 萬(近美)などの「ペア」がことごとく不発。「凡庸なミスマッチ」に終始している。期待していたchemistry はついに起こらずじまい。ああ、なんてこった!
ひょっとして、これは両館の複数のスタッフが相談しながらこしらえた結果なのではないか。思うに、こうした展示は話し合っては駄目なものだ。誰か鋭いセンスをもった者が一人で独断専行してはじめて上手くいく。その証拠に、常設の一郭にあった小規模展示「Body in Pieces/ばらばらになった身体」は、選びぬいた作品同士の思いがけない出会いが、観る者に不思議な陶酔と覚醒をもたらしていたではないか(企画・蔵屋美香)。キュレーターは一人きりがいいのだ。
三時間半もかけて全部観たら、くたくたになった。これで1,300円だから、まあ良しとしよう。