1909年、セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)は初めてのパリ公演を催し、「クレオパトラ」のエキゾティックな舞台で観衆を魅了した。驕慢な女王を演ずるすらりとした美貌の踊り手に、人々の視線は釘付けになった。彼女の名はイダ・ルビンシュテイン Ida Rubinstein (1885‐1960)。翌年には「シェエラザード」でスルタンの寵姫ゾベイダに扮して、再びセンセーションを巻き起こす。
やがてディアギレフと袂を分った彼女は、豊富な財力に物を言わせて、独力で新作を発注し、自ら主役を務める贅沢な自主公演に乗り出す。1911年には台本=ダンヌンツィオ、作曲=ドビュッシー、美術=バクスト、振付=フォーキンという豪勢なスタッフで「聖セバスティアヌスの殉教」の公演を敢行し、賛否両論を惹き起こしてパリ演劇界の話題をさらう。矢を全身に浴びる古代の兵士を演じたのは、もちろんルビンシュテイン自身。アンドロギュノス的な身体の持ち主だった彼女は、男性役も難なくこなしたのである。
ルビンシュテインの最大の功績は、何と言ってもラヴェルに「ボレロ」を書かせたことだろう。今やベジャール版の振付ばかりが幅をきかせているが、もともとは彼女が1928年、自らの名を冠したバレエ団のために発注・初演したオリジナル・バレエだったのである。この一事のみをもってしても、ルビンシュテインが20世紀バレエ史に果たした役割は絶大である。
もっとも彼女は正式にバレエの教育を受けたことはなく、舞踊家としての技量は貧弱だったのは周知の事実。容姿の抜群の美しさと、しなやかな身のこなし、(ロシア訛りは残るにせよ)流暢なフランス語の朗読──すなわち踊り以外が得意技という、きわめて異色のダンサー(というか、むしろ女優)だったのである。そのため、当時から「彼女はバレリーナじゃない」「所詮は金持ちのお嬢様芸」「ベル・エポックの仇花」と、散々に陰口を叩かれていたのである。
そうした悪評が災いしたためか、同時代のディアギレフのバレエ・リュスやその好敵手たるバレエ・シュエドワ(スウェーデン・バレエ団)に比べ、ルビンシュテインとその業績について語られる機会がきわめて少ない。これまでに研究書と呼べるものも、わずかに二、三を数えるのみ。生前の人気や業績に対して、あまりにも不当な仕打ちというべきだろう。
近年、彼女の評伝が英語で出ていることを知り、早速に取り寄せてみた。
"Dancing in the Vortex(渦のなかで踊る)"(2000)、筆者は Vicki Woolf という未知の人である。明日はその感想を少し書いてみよう。