今日もまたまた演奏会。これで四日連続とあって、さすがに少々息切れしてきた。英京や仏京でならともかく、極東の都でこんなに行くべきコンサートが連日あるのは珍しいことだ。
26日に続き、「あるパトロンの肖像~パウル・ザッハー生誕100年記念」の二日目。大きいほうのサントリーホールで七時から。また暑さがぶり返してきたが、頑張って出掛けてきた。
東京都交響楽団。指揮は高関健。曲目をまず掲げておこう。
*ブーレーズ:シュル・アンシーズ Sur Incises (1996/98)
*ルトスワフスキ:ヴァイオリンと管弦楽の対話「チェイン Ⅱ」(1984-85)
*武満徹:ユーカリプス Ⅰ (1970)
*バルトーク:弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽 (1936)
今夜のコンセプトはすこぶる明快。指揮者ザッハーが発注した音楽ばかり集めたコンサートなのだ。二度の休憩を挟んで2時間40分もかかる長丁場だったが、バルトークからブーレーズまで60年もの時が流れているわけで、いってみれば20世紀音楽史を逆向きに辿ろうという試み。少々時間がかかるのも致し方ない。
こんなにも長時間を要した一因は最初のブーレーズの曲にある。なにしろ、50分以上かかる大作なのだ。三台のピアノ、三台のハープ、三人の打楽器奏者という変則的な楽器構成にまず吃驚。初めて聴く曲なので(今日が日本初演?)、漠然とした印象しか書けないが、随所にブーレーズらしい響きを内包しつつも、かなり晦渋な音楽で、聴き通すのはいささかしんどい。40分ほど経過して、激烈なクライマックスを迎えるまでが長かった…。
ちなみに、この曲はもともとザッハーから委嘱があったものの、なかなか形にならず、結局ザッハーの90歳の誕生日を祝って献呈された。したがって初演の指揮もザッハーではなくブーレーズ自身だった。このときは16、7分程度の曲だったというから、今日聴いたのはその拡大ヴァージョン。ほとんど別物と考えたほうがよさそうだ。
二曲目以降はすべてザッハー自身が初演を振っている。ルトスワフスキの「チェイン」は一言でいえば四楽章構成のヴァイオリン協奏曲。有名な女性ヴァイオリニスト、アンネ=ゾフィー・ムッターのためにザッハーが注文したものだ。ムッターといえばカラヤンも秘蔵っ子扱いしていたが、晩年のザッハーも彼女を孫娘のように可愛がり、現代音楽をやるよう強く勧めたのだという。
ルトスワフスキの曲は斬新な書法を散りばめつつも、従来の協奏曲の枠組にとどまった点で、きわめて聴きやすい音楽。今日の独奏者、漆原朝子さんはムッターに比べやや線が細いものの、この曲が求める技巧の冴えと細やかなニュアンスを二つながら充分に満たしていた。
次の武満の「ユーカリプス Ⅰ」にはひどく失望した。独奏者があまりにもひどかったのだ。登場するなり、三人が揃って老眼鏡を取り出したので悪い予感がしたのだが、フルートもオーボエもまるで音が出ていないし、技術的にも欠陥だらけ。もともと凄い名手を想定して書かれているのだから、これでは曲自体が台無しだ(ハープの木村茉莉さんだけは矍鑠たる演奏だった)。ああ、聴かなきゃよかった!
最後のバルトークは悪くなかった。どころか、指揮者の丹念な譜読みが功を奏した好演だった。この曲がいかに緻密に組み立てられているか、建造物さながらの堅牢な構成がよくわかる演奏だ。バルトークにこれを書かせただけでも、ザッハーの功績は偉大だとつくづく思う。しかも彼はこのあと60年間も「パトロンにして発注者」であり続けたのである。凄いことではないか。
アークヒルズから地下鉄・神谷町までの道すがら、ふと考えた。
バルトークの「弦チェレ」から武満の「ユーカリプス」まで34年。小生がTVで「ユーカリプス」初演を観てから今日まで、それを上回る36年もの歳月が流れているではないか! 思わず知らず、ふうっと溜息が出た。