今日もまた演奏会。午後七時から下北沢の小さなホール(北沢タウンホール)で、「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」を聴く。
吉野金次は日本のレコーディング・エンジニアの草分け的存在。ビートルズの斬新な音づくりに惹かれ、手探り状態にあった1970年代初頭の日本のフォーク&ロック界に画期的な録音技術を導入した人物である。はっぴいえんどの「風街ろまん」(1971)は彼なくしてはあの完成度に到達しなかったかもしれない。私財を投げうって日本初の16チャンネルの録音機材を買い揃え、細野晴臣「Hosono House」、南正人「南正人ファースト」(ともに1973)などの自宅レコーディングを実現させた功績は特筆に価しよう。
以来、今日に至るまで、彼は第一線の録音技師として幾多のミュージシャンと共同作業を行ってきた。矢野顕子のレコーディングを克明に記録した映画「Super Folk Song ピアノが愛した女」(1992)を観た方なら、温和な笑顔を浮かべつつ、妥協を排して仕事に打ち込む吉野の姿を鮮明に記憶されているだろう。
クラシック・ファンにとっても吉野の存在はけっして無縁ではない。日本の指揮界の長老・朝比奈隆のブルックナー交響曲全集を最初に録音したのは彼だったし(1972~73)、近年はLP初期の珍しい音源のCD覆刻にも力を注いできた(グリーンドア音楽出版のシリーズ)。
今春になって吉野金次は脳出血で倒れ、現在はリハビリ生活を余儀なくされている。印税収入が入るミュージシャンと異なり、エンジニアにとって休業は完全な無収入を意味するから、その苦境は想像に余りある。そこで矢野顕子が発起人となって仲間たちに呼びかけ、これまでの恩返しの意味もこめて、吉野の治療費カンパの目的でコンサートが企画されたのである。準備期間はわずか一か月だったそうだが、細野晴臣はじめ多くのミュージシャンの賛同を得て、今日を迎えることになった。
矢野顕子のピアノ弾き語りによる「夏なんです」に始まり、矢野+細野のデュエットによる「相合傘」「終りの季節」で締めくくられる魅惑のプログラム。
その間に挟まれる形で、思いもよらぬゲストたちが次から次へと繰り出す。
*細野晴臣 with 高田漣/コシミハル/伊賀航/鈴木惣一朗/浜口茂外也/徳武弘文
*ゆず
*友部正人
*井上陽水(矢野顕子とデュオ)
*大貫妙子(矢野顕子とデュオ)
*佐野元春
誰しもが吉野との仕事を懐かしく回想し、感謝の言葉を口にし、病からの恢復を祈って一、二曲ずつ歌う。声高に叫ぶのではないが、どれも聴く者の心に深く染み入る唄ばかりだ。
たまたま運よく最前列中央に坐れたため、綺羅星のごとき面々を二、三メートルの距離で聴くことができた。まさに至福のひとときだった。
陽水の自作「海へ来なさい」、ター坊+アッコのデュエット「ウナ・セラ・ディ東京」、細野さんがベースを弾きながら歌う「相合傘」など、その印象を書き出したらきりがない。朝になってしまいそう。
終生忘れられないコンサートになるだろう。来ることができてよかった。
ネット古書店の「海ねこ」さんご夫婦、そのご友人たちと帰り道が一緒になり、近くの居酒屋で感動を語り合えたのも嬉しかった。