絶対にこれを見逃せないのはわかってはいたが、どうにも気が進まず、ずるずると一日延ばしにしていた。
ちょっと遠いからか。そうではない。美術館への往還は非日常への旅でもあるのだから、ある程度の距離はむしろ好ましかろう。足どりが重くなるのは、ひとえに展覧会が扱っている時代の陰鬱さ、禍禍しさゆえである。
タイトルを正確に書き写しておこう。名取洋之助と日本工房[1931‐45]。この年号が何を意味するか。ただ展示を眺めて無邪気に楽しむことは不可能なのだ。日本が誇る写真界・デザイン界の俊英たちが、どのようにして十五年戦争に関わり、戦時体制のなかでいかに骨抜きにされ、自縄自縛になっていったか。
川崎市市民ミュージアムに並べられた名取洋之助、土門拳らの写真は、1930年代のなかば、新世代のカメラマンがあたかも水中を泳ぐ魚のようにやすやすと小型カメラを使いこなし、現実の新しい切り取り方を発見していったかを如実に示す。
名取の率いる才能集団「日本工房」。その最大の成果たる対外グラフ誌「NIPPON」全36冊ががずらり並ぶさまはさすがに壮観だ。ハッとするほど美しいレイアウトが随所にある。ほぼ同時期の「FRONT」誌ほどのグラフィックな緊張感や完成度はなく、むしろ野暮ったくもあるのだが、おおらかな優雅さや洒落た創意工夫はやはり偉とするに足る。
日本工房が企画制作を委ねられた対外グラフ誌には、このほか「COMMERCE JAPAN」「SHANGHAI」「CANTON」「MANCHOUKUO」などがある。いずれも珍しいものばかりで、これらを観るだけでも、この展覧会に足を運ぶ価値がありそうだ。
それにしても、綺羅星のごとく並ぶ雑誌群はもっぱら対外文化戦略としてのみ刊行され、決して同時代の日本人の目には触れることがなかった。この皮肉にして厳粛な事実を、どう受け止めたらいいのだろうか。
展覧会カタログが上首尾。丁寧に編集されているし、梯耕治のデザインは美しいばかりでなく、先人へのリスペクトの念すら色濃く滲ませる。
それに比して、川崎市市民ミュージアムの展示のいい加減さはどうだ! 全体を統御するコンセプトがみえないし、雑誌はただ見開きで漫然と並べられるばかり。せめてキャプションくらいきちんと置いたらどうだ(三個に一個はひん曲がっていた)。この愚鈍な無神経さこそは、生前の名取洋之助が最も忌み嫌ったものではなかったか。