実際に耳にした演奏会「スイスの夕」は、予想ほど悪くはなかった。ニコレもデラ・カーサも堂々と格調高いステージを披露した(36年経っても思い出せるほどだ!)。
ただ、いかんせんオーケストラ(読売日本交響楽団)の非力さは隠しようもない。オネゲルの第三交響曲など、この曲はどうも不慣れなもので…と言わんばかりに、生硬で潤いのない演奏。「もう少し豊かで分厚い響きがほしかった」(当時のメモ)と、生意気な高校三年生に指摘されるようではちょっと面目ないではないか!
いくらスイスが小国だからといって、自前のオケを派遣できないようでは情けない。デュトワの指揮ぶりもやたら直線的な動きばかり目立ち、後年の世界的活躍などとうてい想像できなかった。
数日後に出かけたパリ管弦楽団(オール・ラヴェル・プロ)や、一か月後のカラヤン&ベルリン・フィル(「幻想」「ダフニス」第二組曲)の魔法のような光彩陸離たる演奏を聴いてしまうと、「スイスの夕」の印象はたちどころに色褪せてしまったのである。
怒涛のような半年が過ぎ、大阪万博は9月13日に閉幕。未曾有の来日演奏家ラッシュもようやく途絶えたそのときになって、スイスはもう一つの「音楽使節」を日本に送り込んでくる。
来日がのびのびになっていたパウル・ザッハー&チューリヒ・コレギウム・ムジクムが11月にやって来るというのである。そう、まるで出し遅れの証文さながらに。4月にやってしまった「スイスの夕」はなんだったのか? ああ、あれは実はほんの前座でして、今度のがホンモノのスイス人の音楽なんです、と言われたような気がして、小生はいささかムッとした。だからこの演奏会には出かけもしなかった。
こうなったのには理由がある。ザッハーは是が非でも日本に来なければならない事情があったのだ。彼は1970年の万博の会期中に初演することを前提に、前もって武満徹に新作を委嘱してあった。そのための資金はザッハーが君臨するスイス企業の子会社、「日本ロシュ」が拠出することも決まっていた。そしてついに、遅れに遅れていた武満の新作が仕上がった。これはもう、なんとしても日本を訪れて演奏会を開かぬわけにはいかないのである。
(つづく)