ああ、素晴らしい新世界
…とまあ、こんな調子で「テンペスト」の印象を一場ごとに綴っていったら、連載は果てしなく続いてしまいかねない。
だが、幸か不幸か、このあと第二幕に入って、漂着者たちがぞろぞろ登場してくるあたりから、小生の記憶はいささか曖昧になってくる。
六年前の観劇の回想だから無理もないのだが、それ以上に、ヴァネッサをじかに観ている興奮から、芝居の筋を追うどころではなかったのも大きい。台詞を必死に聴き取ろうとする努力も放棄して、ただもう陶然と舞台を見上げていたのであろう。
休憩を挟んだ時分から、ぽつりぽつりと降り出した雨。それすらも、ほてったわが身には心地よく感じられる。
後半の舞台ではっきりと記憶しているのは、プロスペローが再びエアリアルを伴って登場し、「わが計略もいよいよ大詰め」云々と語るくだり(第五幕第一場)。青とオレンジの豪華なマント(魔術師の装い)を格好よく羽織ったヴァネッサの晴れ姿は、今だに目蓋に焼きついている。
そして、それにひき続いての、赦しと再出発の大団円。
プロスペローの怒りもようやく鎮まり、宿敵たちは深く悔い改める。ナポリ王とプロスペローに祝福され、ファーディナンド王子とミランダ姫はめでたく結ばれる。エアリアルは晴れて年季が明け、プロスペローの許から旅立つ。終わり良ければすべて良し。すべては円満に収まり、こうしてシェイクスピア最後の芝居は幕となる。
ここで聴き逃がしてはならじと、耳をそばだてて待ったミランダの極め台詞。
ああ、なんという不思議! 綺麗な生き物でいっぱいだわ。
人間ってこんなにも美しいものなのね。
ああ、素晴らしい新世界(O brave new world)、
そこにはこのような人たちが住んでいる!
この名文句をこそ一生の思い出にと、しかと聴き取り、わが胸に深く刻み込んだ。
……
終わってみれば三時間なんて、あっという間だった。
楽師たちのかき鳴らす賑やかな音楽にあわせ、役者たちがとっかえひっかえ登場。カーテンなきカーテンコールである。
小生はここで禁を犯してヴァネッサの写真を四枚撮った。どうか赦してほしい。
この日の彼女は特別にスピーチし、この公演全体を二日前(2000年5月21日)に96歳で世を去ったジョン・ギールグッド卿に捧げたいと語った。客席から盛大な拍手。感動的な瞬間だった。
はっと我に返ると、小生も友人も、汗と感涙と篠つく雨とで全身ぐっしょり。でも、それがどうした、Singin' in the Rain という気分。この幸福な昂揚感は何物にも替えがたい。「ついにやった We've got it」と叫びたいほどだ。
「裸足のイサドラ」に魅せられたあのときからちょうど30年。
とうとうヴァネッサ・レッドグレーヴを間近に観た。その肉声を耳にした。
17歳の幼い直観から「真の大女優の名に値する」と手帖に走り書きした自分が、幾歳月を経て、今度こそその紛れもない証拠を見せつけられ、こみあげる感動をどうにも抑えることができなかったのである。
脳裏のどこかで、過去の彼女のさまざまな映像が瞬間的に明滅するのが感じられる。月並みな表現だが、まさしく走馬灯のように。
生身のヴァネッサをできるだけ近くから観ていたい。心からそう願った小生は、かぶりつきに陣取っていたにもかかわらず、ぐっと身を乗り出して彼女を凝視していたらしい。傍らで観ていた友人はそれをみて、いかにも可笑しそうに笑った。
いいとも、笑いたければ笑うがいい。これが私なのだ。この瞬間をひそかに待ちながら、私はここまで生きてきたのだから。
(終わり)