開演を待ちながら
劇場のなかに入って、ここがシェイクスピアの時代の演劇空間であることをつくづく実感した。
われわれのいる平土間(ヤード)には座席も何もない。ただの円形の空き地であるが、全員立見なので、びっしり詰めれば300人位は優に収容できようか。ここはつまり往時も今も、芝居好きの貧乏な庶民のための特等席なのだ。そのかわり、三時間立ち通し、屋根のない青天井だから、雨が降ればずぶ濡れになる(ロンドンに雨はつきものなのだ)。
周囲をぐるりと同心円状に取り巻く桟敷席(ギャラリー)は三階建で、昔だったら貴顕紳士淑女たちの坐る場所。今も席料は立見料金(5ポンド)の二倍から五倍(10~26ポンド)はするから、まあ事情は似たり寄ったりだ。ギャラリーには座席はもちろん、屋根だってちゃんと付いている。なるほどなあ。
平土間の一角には、一段高く設えられた長方形の舞台がある。武道館のステージとアリーナ席の関係を思い出していただくと、だいたいあんな感じだ。一番乗りのわれわれはそのすぐ際で、舞台の前面の端っこに寄りかかるようにして開演を待っている格好である。
舞台の上には左右二本の円柱が建ち、迫り出した大屋根を支えている。背後には左右に役者の出入りする扉口がある(つまり、ソデというものはない)。中央背後にも大扉があるが、これは滅多に開かないもののようだ。言い忘れたが、緞帳や幕のたぐいは一切なし。始まる前から舞台は丸見えであり、そもそもここの舞台には装置も背景画も道具類も、何もないのだ。能舞台から背景の松の絵を取り去った状態とでもいったらよかろうか。ピーター・ブルックの有名な「なにもない舞台」という書名がふと脳裏に浮かぶ。
夕空を見上げると、どうも雲行きが思わしくない。さっきから寒々しい川風が吹いていて、いつ降り出してもおかしくない空模様だ。もともと傘の持ち込みは禁じられているし、小生も友人も合羽など持ち合わせていない。
ええい、ままよ、構うものか。これから「嵐」が始まろうというのだから!