グローブ座のベスト・シート2000年5月23日。待ちに待ったその日が来た。
前々日ロンドンに到着した友人は、すでに直前講習よろしく東京で「テンペスト」も「白鯨」も通読し、準備万端怠りなしという(今回この地で観られるローリー・アンダーソンの新作はモビー・ディックに因んだものなのだ)。う〜ん、これにはいささか遅れをとった感じだなあ。
「テンペスト」開演は夜七時半なので、まだたっぷり時間がある。
グローブ座の所在地はバンクサイド(テムズ河畔)、美術館「テイト・モダン」から指呼の距離にある。ちょうどよい。鳴り物入りで開館して間もないテイト・モダンを見物しながら、ゆっくり時を過ごすことにしよう。他の美術館同様、ここも常設展示なら無料で観られるし、ブックショップも充実している。疲れたらベンチもあるし、カフェで軽食や飲物にもありつける。清潔なトイレだって方々にある。
NYのMoMA開館(1929)に遅れをとること71年、ようやくロンドンでも近代・同時代美術を系統立てて収集・展示する美術館ができた。パリのポンピドゥー・センター、デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン州立コレクション、ケルンのルートヴィヒ美術館、アムステルダム市立美術館などに匹敵する公的施設がついに英国に出現したのだ。それも20世紀のぎりぎり最後の年になって。
もっともこの国の後進性を笑えない。日本の国立美術館はピカソの、マティスの、ブランクーシの、クレーの、カンディンスキーの、マレーヴィチの、モンドリアンの、ロスコの、ポロックの、ニューマンの、ラインハートの、ライマンの、ウォーホルの、リヒターの、タレルの、カプーアの(以下略)総毛立つような傑作をただの一点も所蔵しないまま、無為に20世紀を終えようとしているのだから。何という愚かしさだろう。
いかんいかん、せっかく休暇をとってロンドンに来ているのに、美術館ではどうしても職業意識が頭をもたげてしまう。ふと気づくと、友人相手にギャラリートークを始めてしまっている自分が情けない。
開館してまだ半月、入場無料ということも手伝って、どの展示室も混み合っている。通常のクロノロジーに沿わない展示は、当世流行のものとはいえ、観ていてやはり面白い。一例を挙げると、モネの「睡蓮」がリチャード・ロングの環状石インスタレーションと組み合わせてある。モネは絵を描くために庭そのものを造ったのだから、ランド・アートの始祖ということなのだろう。このほか、ロスコのシーグラム壁画の部屋や、ビル・ヴィオラの荘厳な映像インスタレーション、ナウム・ガボの小品ばかりのコーナーなど、見どころは無数にあって、とうてい観きれない。
ここで草臥れてしまってはならじ…とほどほどで切り上げ、カフェで一休みする。
そろそろ夕方なので(といっても五月末のロンドンはまだ明るい)、発電所の建物だったというこの巨大施設をあとにして、徒歩でグローブ座へ向かう。ほとんどお隣り、という位の近さである。正式名称「シェイクスピアズ・グローブ Shakespeare's Globe」は、シェイクスピアが座付作者だった往時のグローブ座(1599)を、可能な限り忠実に再現した野外劇場である。東京・新大久保のポストモダンな嘘っぽいグローブ座とはぜんぜん違う、すこぶるオーセンティックな建物なのだ。
まだ時間が早すぎたので、建物の外観をしげしげと眺め、あちこち写真を撮ったりする。先ほどのgiganticなテイト・モダンに比べ、なんとも小ぢんまりした印象である。
三々五々、人たちが集まってくる。当然だが当日券をあてにして来たか、指定席券を持たぬ、われわれのような立見客ばかりと思われる。同じ立見なら少しでも条件のよい場所を確保したいので、早々と窓口附近に陣取ることに。すると、われわれのあとに延々と列ができていく。
開演三十分前の午後七時。指定席券の客とは違う入口へと誘導される。そこで待たされることしばし。
ようやく開門。通路を通って小走りに劇場内へ。いきなり視野が開ける。
あっと驚愕した。グローブ(地球)の名のとおり、客席が円く階段状に取り囲むこの劇場で、谷底にあたる平土間(ヤード)に座席がひとつも置かれていない。一階はことごとく立見だったのだ。なるほど、それで了解した。あのとき切符売り氏が「立見こそベストだぞ」と言った意味を。
気がつくと、友人ともども駈け出していた。こうなればもう、かぶりつきで観るっきゃない! これ以上のベスト・シートはあるまいて!