「テンペスト」について知っている二、三の事柄
せっかくロンドンで「テンペスト」が観られるというのに、悲しいかな当方には予備知識がほとんどない。こんなことなら日本でもっとシェイクスピアを観ておけばよかった。せめて文庫本くらい手元にあればいいのだが、異国にいてはそれも不可能だ。どうしよう。もう手遅れかもしれない。
だが待てよ、まるきり知らないというわけでもないぞ、と少しだけ気を取り直す。「テンペスト」なら、映像の記憶が鮮明にあるではないか。
デレク・ジャーマン監督の同名の映画(1979)は、チープなセットとパンキッシュな装いにもかかわらず、戯曲の台詞を丁寧に綴りあわせた、シェイクスピアの詩的精神に思いのほか忠実な作品だった。コスチューム・プレイとは無縁な映像ながら、この監督ならではの美意識が随所で光っていた。最後の場面はホームパーティさながらの乱痴気騒ぎになって、往年の黒人ミュージカル・スター、エリザベス・ウェルチがなぜか登場して、「ストーミー・ウェザー」をしみじみと唄うのである!
ジョン・ギールグッドの演ずるプロスペローだって観ている。ピーター・グリーナウェイ監督の「プロスペローの本」(1991)だ。これもストーリーはおおむね「テンペスト」に依拠していたはずだ。そもそもこのフィルム、不世出の名優の当たり役を映像にとどめる目的で企画されたものだという。老ギールグッドの威厳と品格たっぷりの立居振舞が素晴らしすぎて、グリーナウェイの映像上の創意工夫がどれも陳腐な小細工にしかみえないのが可笑しかったが。
そうだ、千葉の自宅に戻れば、「テンペスト」全幕を録音したLPレコードもあったはずだ、と思い至る。アメリカの Caedmon という小さな会社が吹き込んだアルバムで、そこでのプロスペローはヴァネッサの父マイケル・レッドグレーヴが演じていたと記憶する。ヴァネッサ自身もたしか妖精エアリアル役で参加していたはず。う~ん、悔しいなあ、日本に居れば少しは予習ができるのに、とまたしても歯噛みする。