幸福な出会い
前回、36年前に自分が記した文章を古い手帖から書き写していて、なんとも不思議な感慨に捉われた。文章表現の未熟さ、単なる粗筋紹介で終わってしまっているところなど、やっぱり子供だなあ、と思う反面、今の自分と同じ嗜好や感性をもった人間がすでにそこにいる、という事実に気づかずにはいられない。あの時分、こんなにも熱心に観ていたんだなあ、と昨今のわが身を逆に反省したりもした。
私事になるが、小生は文章を書くことに対する苦手意識を抱えながら生きてきた。卒論がどうしても書けず(一行も書けなかったのだ)、とうとう大学を辞めてしまったのも、このトラウマを根深いものにした。編集者になってからも、他者の原稿に手を入れることはあっても、自分で書こうとは露ほども思わなかった。そもそも36歳になるまで、まともに文章を書いたことがなかったのである。このブログの左上にいつも掲げてある『12インチのギャラリー』という本は、何を隠そう、小生が生まれて初めて綴った文章をまとめたものなのだ。
こうして17歳の自分が書きとめた文章を53歳になって読んでみて、さすがに語彙の乏しさや修辞の稚拙さは否めないものの、正直いって読むに耐えないというほどではないと感じた。この手帖の流儀でどんどん書きつづけていけば、それでよかったはずであり、あんなに苦しむ必要はなかったのではないか。まあ、今になってそんなことを言ってみても、あとの祭りなのであるが。
それはともかく、「裸足のイサドラ」は田舎の高校三年生を夢中にさせた。20世紀の初め、こんな凄い女性が実在したんだ、という驚きと、イザドラを演ずるヴァネッサ(撮影当時30そこそこで、とても初々しい感じだった)に対する子供じみた憧憬とが、分ちがたく入り混じっていたように思う。
このあとすぐ、同じ封切館にもう一度出向いて観直した。くだんの手帖では「素晴らしい映画だ。これほどの迫力。ヴァネッサは素晴らしい女優だ」「体を揺さぶられるような感動」「真の大女優の名に値する」と、もう手放しの大絶賛。その後も、名画座にかかるたびにしつこく見参したものである。ポスターもサントラ盤も、原作の角川文庫も、英語版のペーパーバックも手に入れた。
さすがにここ30年ほどは全く観る機会に恵まれなかったのだが、昨年になってアメリカでヴィデオが出ていたことに気づき、ネット経由で取り寄せた。ただしこれは日本で公開された版(カンヌ映画祭出品以降につくられた短縮版)とは異なるオリジナル長尺版なので、未見のシーンがある反面、ちょっと退屈なところも目についた。とはいえ、かつて惚れ込んだ映画を再見する歓びは何物にも替えがたいとつくづく思った。まるで初恋の人に再会するみたいだ、と。