トウ・シューズを脱ぎ捨てた女
高校三年生になったばかりの少年が、なぜ突然イザドラ・ダンカンの伝記映画を観たくなったのか。それは今となっては解けない謎である。
いうまでもなく、イザドラ・ダンカン Isadora Duncan は19世紀までのバレエの伝統や因習をかなぐり捨て、古代ギリシア彫刻を手本に、一枚の布からできたトゥニカ(寛衣)のみをまとい、裸足で踊ったアメリカ生まれの女性。イザドラの革新的な舞踊は20世紀初頭の全ヨーロッパで賛否両論の嵐を巻き起こした。彼女こそはモダン・ダンスの直接の生みの親にして、ロシアでバレエ・リュスが、ドイツでノイエ・タンツが誕生する直接の引金となった人物である。
ゴードン・クレイグ、ミハイル・フォーキン、オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデル、ジャン・コクトー、山田耕作など、彼女のダンスに触発され、芸術上の啓示を受けた同時代者のリストは、それだけで一冊の本になるだろう。キャメラの前に立つことを嫌ったため、彼女の動く映像は隠し撮りで撮られた6秒間しか現存しない。
ひょっとして、あのとき小生は「裸足のイサドラ」という邦題に惹かれたのか。封切時の新聞広告を見て興味をそそられたのは確かだから、両腕を胸の前で組んだ主演女優の上半身ヌードがめっぽう刺激的だった、というだけの話かもしれない。
それは1970年5月2日のことだった。
この日は土曜日で、学校が終わるとそのまま意を決して京浜東北線で有楽町まで出て、「丸の内松竹」という映画館で当日券を買った。東京に映画を観に来るのも、封切館で切符を買って観るのも、実はこれが初体験だったのである(それまでは地元・浦和の二番館でオードリー・ヘップバーンなぞを観て満足していた。田舎者まるだしで恥かしいが)。大きなスクリーンを前にしてどきどきした。客席はガラガラだったのを覚えている。
裸足のイサドラ Isadora
1968年 ユニヴァーサル映画/アキム・プロダクション
監督/カレル・ライス
脚本/メルヴィン・ブラッグ、クライヴ・エクストン
原作/イザドラ・ダンカン「わが生涯」、シューエル・ストークス「裸足のイサドラ」
音楽/モーリス・ジャール
撮影/ラリー・パイザー
振付/リッツ・ピスク
イザドラ・ダンカン/ヴァネッサ・レッドグレーヴ
ゴードン・クレイグ/ジェイムズ・フォックス
パリス・シンガー/ジェイソン・ロバーズ
セルゲイ・エセーニン/イヴァン・チェンコ
レイモンド・ダンカン/トニー・ヴォーゲル ほか
14時15分。いよいよ「裸足のイサドラ」の上映が始まった。