人前でしゃべるのは全然苦にならない。でも今日ばかりは少々辛かった。昨年十月に亡くなった父を偲ぶ追悼会というのがあり、遺族を代表してそこに出席し、挨拶をせねばならないからだ。
父は法曹界ではそれなりに知られた人物である。永いこと家庭裁判所の判事を務め、定年時には広島の高等裁判所の長官だった。これは相当にエライ地位なのだそうで、「給料は総理大臣と同額だ」と本人の口から聞いたことがある。
小生は法律や裁判とは全く無縁な世界で暮らしてきたし、そもそも父とは二十代前半に大喧嘩して以来、ずっと絶縁状態が続いていた(無断で大学を辞め、家出したのだから、まあ当然の報いなのだが)。まがりなりに親子関係が復活したのはここ七、八年でしかない。葬式で喪主を務めるのも嫌だったが、今日こうして父を偲ぶ集まりに招かれてしゃべるというのも気が重い。
東京・内幸町の会場には、父のかつての同僚・後輩・教え子たちが50人近く参集している。もちろん初対面の方ばかりである。さすがに緊張したが、せっかく呼ばれたのだからと腹をくくった。
与えられた時間をフルに使って、死にいたる数か月の病状のこと、最期まで意識がはっきりしており、ほとんど苦しまなかったこと、さらには小生との間で確執があったこと、家庭人としては必ずしも順風満帆ではなかったことなどを、隠しだてせず率直に語った。もし父が聞いたら、気を悪くするに違いない。おりから窓の外はすさまじい落雷と驟雨。まるで父が怒ってでもいるかのよう。
でも不思議だ。ほとんど悪口すれすれの内容ながら、その言葉は結局のところ父への愛着を物語っていたように思われる。話し終わると盛大な拍手が巻き起こり、わが胸中には名状しがたいカタルシスめいた情動がこみ上げてきた。
生前の父は会合に招かれるたびに、参加者全員に手作りの愛唱歌集(鉄道唱歌、懐かしのメロディなど)を配っていた。一つ一つ全部手書きで丹念につくったものだ。没後に遺品を整理していて、この小冊子が百冊以上も出てきた。今日の参集者の方々にそれらを「形見分け」したら、たいそう喜ばれ、懐かしがられた。
午後三時過ぎに散会。いささか疲れた。
帰路ちょっと途中下車して銀座の松坂屋で古書市を覗く。初日ではないので断言はできないが、これは相当に貧相な品揃えだ。参加店の志の低さが透けてみえる。顔見知りの「古本・海ねこ」さんが居られたので、ちょっと苦言を呈してしまう。まさしく余計なお世話で、申し訳なかったのだが。