演劇一家に生まれて
日本にいて欧米の俳優の全体像を歪みなく捉えるのは難しい。どうしても映画での仕事ばかりが目につき、ウェストエンドやブロードウェイでの活躍については、噂には聞くものの、NYやロンドンに住まない限り、その実像はわからない。
ヴァネッサ・レッドグレーヴも例外ではない。わが国でも、フレッド・ジンネマン監督の映画「ジュリア Pentimento」(1977)でのヴァネッサの存在感ある演技に触れて、彼女のファンになったという者が多い(少なくとも小生の周囲ではそうだ)。もう少し上の世代だと、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望 Blow Up」(1966)が契機になったかもしれない。
邦訳もあるヴァネッサの自伝(1991)を読むと、彼女のキャリアの大部分が舞台女優としての活躍で占められていることを思い知らされる。最初に注目されたのも「お気に召すまま」のロザリンド役の演技だったし、その後もシェイクスピア(「じゃじゃ馬馴らし」「アントニーとクレオパトラ」)、チェーホフ(「かもめ」「三人姉妹」)、ブレヒト(「三文オペラ」)、カワード(「生活の設計」)…とたてつづけに芝居での活躍が続く。その合間を縫うように、ときおり映画出演がぽつりぽつり、という感じなのだ。
ヴァネッサ・レッドグレーヴ Vanessa Redgrave は1937年ロンドンで生まれた。父マイケルはローレンス・オリヴィエやジョン・ギールグッドと並ぶ英国演劇界の大立者、母のレイチェル、妹のリンも女優という、文字どおりの演劇一家の出である。そういえば、父マイケル・レッドグレーヴも、私たちにとっては馴染の薄い存在である。青年期に主演したヒッチコックの「バルカン超特急 The Lady Vanishes」(1938)、そのあとはジョゼフ・ロージーの「恋 The Go-Between」(1970)での初老の主人公(出番はごくわずか)、というのでは、どうにも印象に残りようがない。それはともかく、誉れ高い名優である父を尊敬し、時には反撥し、重圧に感じながら女優としての道を歩む、という点で、ヴァネッサ・レッドグレーヴはジェーン・フォンダと好一対をなす存在といえるかもしれない(二人は大の親友である)。
1960‐70年代を生きた者にとって、ヴァネッサの存在の大きさは「女優」という範疇にはとうてい納まりきらない。筋金入りの反体制活動家である彼女は、ヴェトナム反戦、アイルランド紛争、反核運動、反アパルトヘイトなど、機会あるごとにデモ行進に加わり、アピールに署名し、ときには官憲に拘束されるのも厭わない女性だった。極東の島国に住むファンも、新聞の外信欄で彼女の勇気ある活動の一端を垣間見て、ひそかにエールを送ったものである。
ジェーン・フォンダが主演した映画「ジュリア」(日本公開1978)は、封切時に観た多くのファンを魅了した。第二次大戦前夜の風雲急を告げるベルリンで、命がけで反ナチ運動に従事するジュリア。その彼女のもとに活動資金を届けるべく、幼馴染のリリアンが危険を承知でパリから列車で赴くという、スパイ小説顔負けのスリリングな展開。この映画で活動家ジュリアを演じたのがヴァネッサ・レッドグレーヴだった。実生活でも体を張って良心を貫こうとするヴァネッサの姿と二重写しになったこともあろう、彼女の演ずるジュリアは、出番こそ多くなかったものの、一度観たら忘れがたい強烈な印象を残した。彼女にアカデミー助演女優賞が与えられたのも当然だろう。
この映画の原作は、劇作家リリアン・ヘルマンが書いた自伝的短篇集「ペンティメント」の一篇「ジュリア」。その気迫に満ちた筆致は、その後間もなく殺されたというジュリアの存在を歴史の闇から鮮やかに浮かび上がらせる。私たちはこの原作(と映画)を掛値なしに真実の記録と受け取り、誰もがジュリアの実在を疑わなかった。
ところがその後、ヘルマンが記したこの物語は全くの虚構であり、ベルリンで地下活動に従事する女性も、リリアンの決死のベルリン旅行もすべてつくりごとと判明したのである。まことに興ざめなことだ。とはいうものの、映像のなかでヴァネッサがジュリアという女性に賦与した、いぶし銀のような輝きと奥行きのある存在感は否定しようもない。ヴァネッサに演じさせるために、リリアン・ヘルマンはこの稀有な女性を創造したのだ、嘘から出たマコトだったのだ、とここでは考えることにしよう。
もう十年ほど前になるが、蜷川幸雄さんがイギリスでシェイクスピアを初演出したときのことを回想するTV番組があった。
初めてエディンバラの地(だったと記憶する)を訪れた蜷川を、主催者側を代表してヴァネッサ・レッドグレーヴがじきじきに出迎えてくれた。にっこり微笑んだ彼女は、蜷川の手を握ると、じっと彼の眼を見ながら、穏やかな口調でこう語りかけたという。「あなたの芝居をとても楽しみにしてるわ」。
蜷川はもうこれだけですっかり舞い上がってしまい、文字どおり「天にも昇る心持がした」、とそのときの興奮を物語っていた。
「世界のニナガワ」ですらそうなのだ。なにしろ、そこにヴァネッサがいたのだから。