今日が特別な一日だという理由は、実はもう一つある。
あれは20世紀もいよいよ押し詰まった2000年11月のこと。珍しいロシア・アニメをまとめて上映するイヴェントがあった。小生のお目当ては、ミハイル・ツェハノフスキーの無声アニメ「郵便」(1929)。同タイトルの絵本(1927)をもとに映画化された、ツェハノフスキー監督の出世作にして、ロシア・アニメ勃興期の幻の短篇である。
一通の書留郵便がどこまでも宛て先を追っていき、世界各地の郵便屋さんがてくてく歩いて届けようとする、というストーリー(マルシャーク作)に、ツェハノフスキーがスタイリッシュな挿絵を描いた傑作絵本は、小生もかねてから愛蔵している。上映されるアニメはこの絵本を元に、同じアーティストが物語もキャラクターもそのまま、まるごと映像化したもの。これが日本初上映だという。
その素晴らしさに息を呑んだ。心底たじろいだ。絵が動くというのは凄いことだ! 素朴な「切り絵アニメ」ながら、ダイナミックな運動感、スピード表現は比類がないし、 なによりも絵がアヴァンギャルドな魅力に溢れている。無声映画ならではの字幕の入れ方もリズミカルで、間然とするところなく絶妙。
すっかり打ちのめされて、しばらく椅子から立ち上がれなかった。
このイヴェントを主宰された評論家の山田和夫さんが会場におられたので、一面識もないままに、勇を鼓して「この映画の字幕の日本語訳はどなたが手掛けられたのですか?」と訊ねてみた。「ああ、今日は翻訳した本人がちょうど来ているから」と、その場で研究家・翻訳者の井上徹さんに紹介された。後日、井上さんからは懇切な手紙とともに、映画「郵便」の字幕翻訳の全テキストが届けられた。一観客にすぎない者への行き届いた対応に、涙が出るほど感激したのをよく憶えている。
この出逢いの三年後、ひょんなことから「幻のロシア絵本」展が実現すると決まったとき、小生が真っ先に考えたのは、展覧会の関連企画として「郵便」を上映できないか…ということだった。さっそく井上さんに相談した。あのフィルムは今でも日本にあるのだろうか、と。
2004年の展覧会で芦屋と東京、それぞれ一回ずつではあったが、ツェハノフスキー三本立て上映(「郵便」「バザール」「おろかな子ネズミ」)が実現できたのは、今考えてもまるで夢のような出来事だ。またしても山田さんと井上さんのご尽力のたまものである。お二人は上映会でのトークまでお引き受け下さった。
それだけではない。井上さんは親切にも、ご自身のHPで「幻のロシア絵本」展のことを大々的に取り上げ、その意義を縷々力説して下さったのである。このご恩は決して忘れない。
今日はその「大恩人」井上徹さんの講演の日でもあるのだ。行かなければ!
「吉原治良展」の興奮も冷めやらぬまま竹橋をあとにして、その足で神保町を経由して春日の文京シビックセンターへ。山田和夫さんが主宰される「エイゼンシュテイン・シネクラブ」、第168回例会である。
今日の井上さんの演題は「はじまりのロシア映画~革命前のロシア映画を見る」。
上映機会のきわめて稀な20世紀初頭、黎明期のロシア映画(映画の発明は1895年)がヴィデオ上映とはいえ、井上さんの解説つきで観られるというのだ。
上映作品は次のとおり。
「スペードの女王」1910 ピョートル・チャルジーニン監督
「カメラマンの復讐」1912 ウラジスラフ・スタレーヴィチ監督(人形アニメ)
「降誕祭前夜」1913 ウラジスラフ・スタレーヴィチ監督
「偉大な老人の旅立ち(トルストイの生涯)」1912 ヤーコフ・プロタザーノフ、エリザヴェータ・チーマン監督
「白昼夢」1915 エヴゲーニー・バウエル監督
いずれもニジンスキーの跳躍がヨーロッパを席捲していた頃の映画ということになる。残っているだけでも奇蹟のような作品群。小生に見覚えがあるのは有名な「カメラマンの復讐」くらいだろうか。
さすがに1910年の「スペードの女王」は退屈だ。なにしろ、役者の演技を一方向からロングショットでただ撮っているだけ。アップもミディアムショットも、もちろん切り返しもない。これは当時、どこの国の映画もそうだった。異なるアングルのカットを繋ぐという発想そのものが存在しなかったのだ。この退屈な単調さがいかにも特徴的で、貴重ですらある。
それがどうだろう、わずか5年後の「白昼夢」では、基本的にはロングショット、固定カメラながら、ときおり挿入されるミディアムショットや野外における移動撮影が実に効果的。セットも奥行きが深く、人物の「縦の動き」が意識的に多用される。
死んだ妻のことが忘れられず、よく似た別人を身代わりとして愛する、という主題そのものが、40年後のヒッチコックを先取りしているし、俳優の大仰な演技にもかかわらず、サスペンスフルな緊張を持続させるバウエル監督の映画的手腕は並々ならぬものだ。
井上さんの解説は簡にしてきわめて要を得たもの。上に述べた紹介も、ほとんどが彼からの受け売りである。
ロシア・アヴァンギャルド芸術が登場するためには、帝政末期の「白銀の時代」の文化的爛熟が必要だった、とはよく説かれることだが、エイゼンシュテインの出現に先立って、映画の分野でも相応の成果が蓄積されていたことは、もっと強調されてしかるべきだろう。
それにしても今日は長く充実した、特別な一日であった。