ホレス・マッコイ Horace McCoy(1897-1955)は、どうみても冴えない作家である。同世代のフォークナーやヘミングウェイほどの才能も、ハメットやチャンドラーほどの筆力や人気ももちあわせず、わずか六篇の小説と無数の映画用シナリオ(大半は不採用)を残して消えていった。小説『They Shoot Horses, Don't They?』(1935)はその処女作にして、ほとんど唯一の成功作とされる。
角川文庫の邦訳を手にしてすぐ、原書でもぜひ読もうと丸善で注文したのだが、英米での映画公開時に久々復刊されたペーパーバック版はとうに品切で入手できなかった。それからというもの、神保町の東京泰文社(今はなき英米ペーパーバックの宝庫)の書棚をどれだけ探したことだろう。30年近くかけて、入手できたマッコイ作品はわずかに『Scalpel(医療用のメス)』なる五作目、それもダイジェスト版ただ一冊。しかもこれがひどく退屈な代物だったのだ!
1981年には第四作目『明日に別れの接吻を Kiss Tomorrow Good-bye』の邦訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)が出て、わずかに渇を癒してくれたものの、マッコイを原文で読みたいという望みはいっこうに叶わなかった。90年代に何度かロンドンを訪ねた際も、ほうぼうの古本屋で『They Shoot...』のペンギン版を探したのだが、旅人に与えられたチャンスはごくわずかで、沙漠に埋もれた宝石を掘り起こすような徒労感を味わわされた。
それがどうだろう、今では小生の手許にはこの小説の英米のペーパーバック版、常盤新平さんが「入手はとても不可能」と述べておられたSimon and Schuster刊の初版本、さらには On achève bien les chevaux(馬なら撃ち殺す)なる仏版までが揃っている。わが宿願はついに聞き届けられたのだ。それも、文字どおり一夜のうちに。
abebooksという恐るべきサイトがある。「日本の古本屋」の欧米版といったらおわかりだろうか。世界各国の古書店から膨大な書籍がエントリーされ、著者名か書名さえわかれば瞬時に検索・注文できるという仕組みだ。およそ過去100年間に刊行された本なら、ほとんどなんでも手に入る。これこそ悪魔の発明ではあるまいか?
凄い時代になったものである。探し続け、さまよい続けたこれまでの30年は一体なんだったのか…という気もしないではないが、人生はあまりにも短い。読みたい本はすぐ手にしたほうがいいに決まってる。いまや、どんな本でも手に入る。もちろん、それを切実に読みたいと願うかどうかは、また別の話なのだが。