大晦日にTVで「紅白歌合戦」を観る習慣を失って久しい小生だが、先日は成り行きで観るともなく観てしまった。ハンバート ハンバートが朝ドラ主題歌をデュエットしたり、石川さゆりが「天城越え」をフル編成のNHK交響楽団(!)の伴奏で歌ったり、布施明や矢沢永吉が年齢を感じさせない声量で熱唱したりした。
事前に出演者をチェックしなかったので、終わり近くにユーミンが登場したのには意表を突かれた。七十代に入った彼女の歌唱はとても褒められた出来でなく、高音が出ずに苦しそうだし、音程も終始ふらついて、聴いているこちらが辛くなるほどだった。それでも二曲目でピアノに向かい、はるか昔の自作「翳りゆく部屋」を披露したのには驚きを禁じ得なかったのである。
この曲は数あるユーミン作品のなかで別格的な存在――デビューするずっと前、彼女が中学生の頃に初めて書いた曲「マホガニーの部屋」の詞をのちに書き改めた新版――だからだ。つまり、この晴れがましい紅白の場で彼女は五十数年前の「初めの一歩」を新たに辿り直すことで原点に回帰し、天才少女だった自分自身を再確認しようと欲したのだろう。その姿にはなにやら切実に胸を打つものがあった。
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「マホガニーの部屋」1968年
灰色の夕暮れがそっと
私に訪れた時
私は部屋のドアを開けて
ランプに暗い火を灯す
冷たいシーツに足を伸ばし
闇の世界の入り口で
私の静かな友達を
ただひとり迎え入れる
愛よ 色褪せた 遠い日の光よ
もう二度と戻らない
私が今死んでも
ランプの消えた後にほのかな
油の匂いがする
彷徨い歩くミニヨンのように
霞んでゆく細い煙
愛よ 色褪せた 遠い日の光よ
もう二度と戻らない
私が今死んでも
愛よ 色褪せた 遠い日の光よ
もう二度と届かない
私が今死んでも
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「マホガニーの部屋」は彼女が十四歳で作詞作曲した記念すべき第一作である。にもかかわらず、この曲はなぜかファースト・アルバム《ひこうき雲》(1973)にも、セカンド・アルバム《ミスリム》(1974)にも収録されず、未発表のまま継子扱いされてきた。それでもデビュー当初の彼女はコンサートでしばしば歌っていたから、曲そのものを忌避したわけではない。むしろ大切な処女作だからこそ、どうやって世に出すかを慎重に思案していたのだろう。
手控え帖に今も残るデビュー当時の彼女の演奏記録から、「マホガニーの部屋」がどのくらいの頻度で歌われていたか調べてみた。
■ 1974年4月21日、東京・新橋、ヤクルトホール
「First Impression」(デビュー・コンサート)¥1,500
*「雨の街で」と「やさしさに包まれたなら」の間で。MCでは「これは私がいちばん昔につくった曲のひとつ」と紹介。
■ 1974年6月22日、東京・渋谷、ジァン・ジァン
昼の部「新人デー」¥300
*「雨の街で」と「やさしさに包まれたなら」の間で。
■ 1974年8月31日、東京・渋谷、ジァン・ジァン
昼の部(ダッチャとのジョイント)¥300
*「12月の雨」に続き、マイク片手にステージ中央に立って歌った。
■ 1974年9月28日、東京・渋谷、ジァン・ジァン
昼の部(ブレッド&バターとのジョイント)¥300
*「12月の雨」と「そのまま」の間で。
■ 1974年10月5日、東京・銀座、山野楽器(上階のホール)
アルバム《ミスリム》発売記念コンサート(シュガーベイブ共演)
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1974年10月11日、東京・新宿、ルイード
*後半の「海を見ていた午後」と「12月の雨」の間に。
■ 1974年10月25日、東京・渋谷、ジァン・ジァン
夜の部「出会い」(ブレッド&バターとのジョイント)¥800
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1974年11月3日、神奈川・相模原、東海大学(学園祭)
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1974年11月26日、東京・九段、千代田公会堂
かまやつひろしとのジョイント。
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1974年11月29日、東京・渋谷、ジァン・ジァン
夜の部「出合い」(ブレッド&バターとのジョイント)¥800
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1974年12月16日、東京・渋谷、ジァン・ジァン
夜の部「出合い」(ブレッド&バターとのジョイント)¥800
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1974年12月20日、東京・水道橋、労音会館
新鋭アーチスト・シリーズ No.10「荒井由実コンサート」¥600
*全二十曲のあと、アンコールで「マホガニーの部屋」。
■ 1974年12月24日、東京・水道橋、労音会館
3大学合同ロックコンサート 風信旗 ゲスト:荒井由実 ¥600
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1974年12月25日、東京・神宮外苑、日本青年館
「クリスマス・コンサート」(吉田美奈子、山本潤子、シュガーベイブと)¥1,500/1,200
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1975年1月4日、東京・渋谷、ジァン・ジァン
夜の部「荒井由実ニュー・イヤー・コンサート」¥1,000
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
■ 1975年1月14日、横浜市民ホール
「Sky Hills Party vol. 1」(吉田美奈子、シュガーベイブと)¥500
*「マホガニーの部屋」は歌われず。
1974年10月5日にアルバム《ミスリム》が発売され、ユーミンのポップ指向が定まるにつれ、ダークで内省的な「マホガニーの部屋」は路線から逸れた異質な楽曲としてコンサートのレパートリーから次第に除外され、シングル盤のための録音も取りやめになった。この曲の歌詞を全面的に書き換え、失恋ソングともとれる内容に改めた新曲シングル「翳りゆく部屋」が世に出たのは、新曲「あの日にかえりたい」(1975年10月)の記録的大ヒットを承けた1976年3月5日だった。
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「翳りゆく部屋」1976年
窓辺に置いた椅子にもたれ
あなたは夕陽見てた
なげやりな別れの気配を
横顔に漂わせ
二人の言葉はあてもなく
過ぎた日々をさまよう
ふりむけばドアの隙間から
宵闇がしのび込む
どんな運命が 愛を遠ざけたの
輝きはもどらない
わたしが今死んでも
ランプを灯せば街は沈み
窓には部屋が映る
冷たい壁に耳をあてて
靴音を追いかけた
どんな運命が 愛を遠ざけたの
輝きはもどらない
わたしが今死んでも
どんな運命が 愛を遠ざけたの
輝きはもどらない
わたしが今死んでも
「翳りゆく部屋」の歌詞では、旧作「マホガニーの部屋」には不在だった「あなた」を冒頭で登場させることで、恋の終焉を悲しむラヴソングへと変容させようとしたのだろう。かつてユーミンからそう伝え聞いたと記憶するのだが、「マホガニーの部屋」の歌詞は当時の友人との合作だったため、百パーセント自作の詞に書き改める必要もあったらしい。