「盤鬼」こと平林直哉氏から新著をご恵贈いただいた。実は今月初めには届いていたのだが、発行日を待ってからレヴューしようと愚図愚図しているうち、ご紹介が遅くなってしまったものだ。
平林直哉
必聴! ヴァイオリニスト30 魅惑の音色を発掘する 靑弓社
2025年10月15日刊
本書には帯は掛かっておらず、その代わりにカヴァー袖の惹句にこうある。――「海外の音源に詳しい著者が、数々のSPやLPのなかからCD化されていない魅惑的な演奏を厳選して紹介する。長年を費やして集めた楽曲を聴き込んで魅力を語り、貴重な図版も多数所収するクラシックファン垂涎の力作!」
なるほど、まさしくそのとおりの著作である。標題にあるように往年のヴァイオリン奏者が三十名ずらりと並び、音盤に刻まれた至芸が一人ずつ懇切丁寧に紹介されていく。ただし、その顔触れがいささか意表を突いている。
アーサー・カテラル、ジョン・ダン、アルド・フェラレージ、ジャン・フルニエ、ステファン・ルーハ、ストイカ・ミラノヴァ。冒頭の数名を挙げるだけで、「誰それ?」となる。ハイフェッツもシゲティもオイストラフも出てこない。むしろ、実力のわりに活躍が地味だった、あるいは残された録音が少なかった、など諸般の事情から、忘却の淵に沈みかけた奏者ばかり三十人が採り上げられている。
平林氏といえばフルトヴェングラー、ワルター、ムラヴィンスキーら往時の大指揮者の指揮芸術を語らせたら右に並ぶ者がいない論客で、自らの独立レーベル「グランドスラム」で独自の覆刻CDを数多く送り出してきた。その彼の新著がヴァイオリニストについての紹介本と知り、少しばかり意外の念を抱いたものだが、彼はもともと学生オーケストラでヴァイオリンを弾いていた人であり(今またレッスンを再開したそうな)、自らのレーベルからジョコンダ・デ・ヴィート、ヨハンナ・マルツィ、ジャニーヌ・アンドラード、ミシェル・オークレールら閨秀ヴァイオリン奏者の覆刻CDも手がけられていたのである。
平林氏の筆致は平易で親しみやすいものだから、名前すら知らない往時のヴァイオリニストたちがひどく身近な存在に思えてくる。演奏の特色についても、巧みな修辞で丁寧に紹介されると、まるで行間から音が聴こえてきそうなほどだ。奏者たちのエピソードの開陳が巧みなので、興趣がどんどん湧いてくる。なんとしても稀少な音源を手に入れて、彼女や彼の録音を実際に聴いてみたくなる。
氏のヴァイオリン演奏に対する嗜好性は些か古風で回顧的なものだ。ご自身もそれを自覚されており、「はじめに」のなかで「ヴァイオリンとは、甘ったるくて妖しく、しなだれかかるような雰囲気をもち、ときにはお涙頂戴的にすすり泣く楽器である」と明言され、古楽器奏者たちの「ピリオド奏法」への疑念と嫌悪を隠さない。
必ずしも同意できない見解だが、それでも本書を読んでいると、往時の未知のヴァイオリニストたちの至芸に触れてみたくて、居ても立ってもいられなくなるのは、著者が抱く愛着が心の裡から滲み出た真実の共感にほかならず、強い伝播力を伴うからだろう。
本書に採り上げられた三十名の奏者は皆それぞれに個性的で「聴いてみたくなる」存在に思えるが、小生はとりわけ十三番目に登場するシュテフィ・ゲイエル (Stefi Geyer) というハンガリー出身の閨秀ヴァイオリニストに惹かれた。なにしろべーラ・バルトークとオトマール・シェックという二人の作曲家が若き日に夢中になり、それぞれ協奏曲を捧げたというのである! わずかながら現存するという彼女の音源(シェック作品の実況録音もある!)をなんとしても聴いてみたいものだ。