疲れたら眠りなさい
わたしが歌をうたってあげる
あなたが森と思っているものは
死んだ人たちの爪の跡
あなたが風と思っているものは
緑魔子が歌う「やさしいにっぽん人」がスピーカーから流れ出し、やがて終わった。
一九七四年八月九日午前五時、短い夏の夜が明けようとしていた。
東京大学文学部で西洋美術史を専攻する沼辺信一はラジオの電源を切り、昨日届いたばかりの封筒を再び手に取った。
中身は手書きの簡易印刷の文書が一枚。「ミドリブタニュース」という奇妙なタイトルがつけられていた。
《林美雄さんがパックをやめるそうです。実をいうとパックインミュージック2部のほとんどが変わるらしいのです。どうやら歌謡曲の番組(某放送局の「走れ—―」のような)になるようです。
そこで私達は考えました。
何とかして林さんに放送を続けてもらうためにはどうすればいいのか? 一人で考えるよりも二人で三人でと一しょに考える仲間が出来、林さんに放送を続けてもらうための会を結成しました。
その会の名称は「パック 林美雄をやめさせるな! 聴取者連合」です。
日本映画復興を云われている今日ですが、今ここで林さんの放送をつぶしてしまうようでは、この上向きになってきた日本映画の現状は、決して楽観できるものではないと思うのです。》
林パックのような破天荒な番組が存在できたのは、午前三時から始まる「パックインミュージック」二部にスポンサーがついていなかったことが大きい。資本主義の論理が及ぶことなく、林美雄のセンスと趣味嗜好だけが支配する王国、もしくは無法地帯。それこそが林パックだった。
だがいま、素晴らしい林パックは、正に資本主義によって消滅の危機に瀕していた。
文化放送の「走れ!歌謡曲」を提供する日野自動車に対抗すべく、いすゞ自動車はTBSラジオ平日深夜三時から五時までの時間帯を丸ごと買い取ることに決めた。
これまで一銭も入らなかった深夜遅くの時間帯をお買い上げいただけるのだ。TBSラジオは大喜びでタクシーや長距離トラック運転手向けの深夜番組「歌うヘッドライト」を作ることに決めた。ドライバーの皆様に聴いていただく以上、パーソナリティは女性でなければならず、紹介される曲は歌謡曲でなくてはならない。
かくして「パックインミュージック」二部の消滅が決まった。広告収入で成り立つ商業放送局としては当然の対応だろう。
林美雄のリスナーの大部分を占める大学生および高校生たちにも、その程度の理屈はわかっている。
だが、彼らは無理を承知で、TBSに林パックの存続を求める抗議行動を始めた。TBSが自分たちの要求を容れる可能性は低いが、やれる限りのことはやるべきではないのか。大人の理屈を容認するには、彼らは林パックをあまりにも愛しすぎていた。
パック二部の消滅を林美雄自身が告げて以来、鬱々とする沼辺の元に、まもなく「ミドリブタニュース」が届いた。
一読して感激した。
巨大メディアであるTBSの判断を覆し、自分たちの愛する林パックを存続させようとする気骨ある若者たちがいたのだ。
差出人欄にある "東京都青梅市東青梅 中世【なかせ】正之" という住所と名前には見覚えがあった。林パックのファン有志による簡易印刷のミニコミ「あっ!下落合新報」を送ってもらっていたからだ。これまでに二号が届き、沼辺は次を楽しみにしていた。
しかし第三号が発行されることはついになく、代わりに送られてきたのが「パック 林美雄をやめさせるな! 聴取者連合」通称パ聴連の結成を知らせる「ミドリブタニュース」だった。
偶然にも届いたのが木曜日で、深夜には林パックが放送された。
番組が朝五時の終了時刻に近づき、緑魔子の「やさしいにっぽん人」を聴くうちに、沼辺の頭の中にひとつの考えが浮かんだ。
「そうだ、今からこの中世正之という人に会いに行こう」
約束はしていないが、中世が林パックを聴いていないはずがない。だとすれば、これから布団に潜り込んで眠るに決まっている。すなわち、必ず在宅しているはずなのだ。寝ているところを起こすのは悪いが、我慢してもらおう。
簡単に身支度を整え、父母を起こさないよう、静かに玄関のドアを開けて外に出た。空は刻々と明るさを増している。今日も暑くなるだろう。
――柳澤 健『1974年のサマークリスマス』第一章 夜明け前に見る夢 集英社、2016 ※引用は集英社文庫版(2021)による。