昨日の夕方ラジオを聴いていたら、ピーター・バラカン氏がふとこう口にした。「明日は僕が日本に来てちょうど五十年になる記念日です」と。1974年7月1日、初めて東京に降り立った日のことを、氏はこれまでもさまざまな機会に繰り返し述懐している。例えば三年前のこんなインタヴュー。
初めて日本に来た1974年の7月1日です。僕の人生が決定的に変わった日ですから。日本に着いたその日は、まだ23の誕生日も迎えていない若者でした。ロンドンの大学を卒業してから1年間レコード店で働いていたんですが、労働時間も長いし、給料も安いし、限界を感じ、日本のシンコーミュージックの面接を受けたんです。大学で日本語学科を卒業していたとはいえ、その時には日本がどんな国かもわかってないし、長く住むかも決めてなかった。それが合格して突然「10日後に来られないか」と電話をもらって、急遽来ることになっちゃった。結果的に47年経ってもまだいます(笑)。昔からの「放送の仕事をやりたい」という夢も実現できて、恵まれた人生を送れていると思いますね。
[シンコーミュージックの]オフィスが淡路町の交差点にあって、70年代は毎日この界隈にいました。到着した日も羽田空港から直行して、午前中にオフィスに着いたんですよ。少し挨拶した後、お昼ご飯に誘われて行ったのが「まつや」というお蕎麦屋さんでした。思い出深いです。[・・・]周りを歩いたら、当時を思い出しますね。淡路町の駅を降りるたびに「懐かしい」と思いますよ。
音楽・楽曲の著作権に関係した仕事がメインでした。海外の音楽出版社との手紙のやり取りが多かったです。音楽雑誌の海外ミュージシャンの取材について行って通訳をやったりもしていました。最初の一年はすべてが新しくて、冒険続きで楽しかったですね。
そして、バラカン氏の来日にまつわる想い出話は必ず、一枚のレコードとの運命的な出逢いのエピソードに行きつく。
そういえば、僕がシンコーミュージックのオフィスに初めて入った7月1日、僕の机に置かれていたのは、Phoebe Snowという女性ヴォーカリストのデビュー・アルバムでした。しかもその日が発売日だったんです。聴いてみたらものすごく良くて、愛聴盤になりましたね。
――シャンパーニュ・テタンジェのHPの連載「365 Anniversaries」より「ロンドンで抱いた夢が東京で叶い始めた記念日」
別のインタヴュー(『ブルータス』誌の「ピーター・バラカンが選ぶ32枚のレコードストーリー」)でもやはり同じ話が語られる。
74年7月1日、初めて東京に降り立った僕は、その足で新しい仕事場である音楽出版社に向かいました。そして用意されたデスクに着くと、たまたまそのデスクの上に未開封のまま置かれていたのが、このレコードでした。僕が勤める音楽出版社が、発売元のアメリカのシェルター・レコードの版権を管理していた関係で送られてきたものでした。出社1日目でとりあえずやることもなかった僕は、その無名の新人のレコードを聴いてみることにしたんです。そして……恋に落ちました。
僕はそのブルージーでジャズっぽい歌声を聴いて、てっきりフィービ・スノウは黒人だと思っていました。ジャケットのイラストを見ても顔がよくわからなかったし、髪の毛はクルクルのアフロのように描かれていましたからね(実際、クルクルでしたが)。ですから、彼女がユダヤ系の白人と知ったときは、ちょっと驚きました。
彼女の歌声は、よく響く艶やかな低音と、繊細なソプラノの裏声の間を、何の違和感も感じさせずに行き来することができるんです。そして彼女のデビュー・アルバム『Phoebe Snow』では、この天に祝福された歌声を存分に味わうことができます。
今日という記念日にこそ、フィービ・スノウのそのデビュー・アルバムを聴こうではないか。
"Phoebe Snow"
1. Good Times (Let the Good Times Roll)
2. Harpo's Blues
3. Poetry Man
4. Either or Both
5. San Francisco Bay Blues
6. I Don't Want the Night to End
7. Take Your Children Home
8. It Must Be Sunday
9. No Show Tonight
ヴォーカル/フィービ・スノウ
1973–74年、ロサンジェルス、ナッシュヴィル、タルサ
Shelter SR 2109 (LP, 1974)
※上のリンク先ではアルバムB面の最後の "No Show Tonight" がなぜか省かれて聴けないので、別途こちらを貼っておく。