鉄路はそこから急角度に右折して、南信と北信とを分かつ筑摩【ちくま】山地の登りにかかった。そとはまだいくらか明るいが車内にポッと電燈がついた。やがて美しく細長い山間の麻績【おみ】盆地。
しだいに空席の多くなってゆく車内で、私は自分と斜めにむかいあってすわっているひとりの若い娘にそれとない注意を向けていた。年のころならようやく二十才ぐらいであろうか、薄色の夏服を着て、つつましくそろえたひざの上にハンドバッグを載せ、松本から乗ると間もなく取り出した小さい本を今もずっと読みつづけている。見たところ地方事務所か類似の役所のようなところへつとめている娘らしいが、その誠実で怜悧【れいり】そうな風貌【ふうぼう】が、特にたそがれのひとり旅の客である私には好ましいものに思われた。
彼女が私の注意をひいたのは、しかしその存在のためばかりではなく、一つには熱心に読まれている書物のためでもあった。それは小型の文庫本で、何かのはずみに表紙の文字が見えた時、私はそれが豊島与志雄氏の訳になる『ジャン・クリストフ』の中の一冊であることを知ったのだった。
ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』。今朝も私は高原の森の木かげ、しだの茂った泉のほとりで、その最終巻「新しき日」の数ページを読んだのだった。朝の心の清めとして初まる一日の祝福として・・・・・・
今、私は同じその本をじっと読みふけっているひとりの若い娘を、たがいに見知らぬ道連れとして向かい合った席に持っている。何かことばをかけてみたい衝動をおさえ切れなかったとしてもしかたがないであろう。それで汽車が麻績【おみ】をすぎてあたりがふたりだけになった時、私はとうとう思い切って、
「ジャン・クリストフをお読みのようでしたが面白いですか。」と、きいてしまった。娘はちょっと驚いたようすだったが、すぐ静かに、「はい。好きでございます。」と信州の若い女性によく見られるはっきりとした返事をした。
「そうですか。私にとっても若い時から愛読書です。今、読んでおられるのは何巻ですか。」
娘は虚を突かれたようだったが、顔を赤らめて手さげ袋の中をのぞいて見て、
「五巻でした。アントワネットのところを読んでいました。」と、すなおに答えた。
「アントワネットは弟のオリヴィエに学資をみつぐために、もうドイツへ働きに行きましたか。」
「はい。そのドイツでスキャンダルのために職を失ってフランスへ帰る途中、すれ違ったむこうの汽車の窓にクリストフの眼を見ました。」
私はほとんどこみあげるような感動を覚えた。この時、惜しいかな汽車は冠着【かむりき】の駅に近づいて、娘は「失礼しました。」と軽く会釈して車の出口へ向かって行った。ようやく山の迫って来た寂しい風景の中に、停車した駅は小さく、三、四人の客が今にもザッと降って来そうな空の下を急ぎ足で改札口から出て行った。娘はいちばん後から窓のそとを通る時、今度はじっと私の顔を見ながら、それとわかる親愛のまなざしで深く辞儀をして行った。
どうです、なかなかに味わい深い名文ではあるまいか。小生は中学三年のとき偶然この文章を知り、ひどく心惹かれた。「昭和四十二年度 浦和市一せいテスト」の国語の問題でこの一節が出題されたのだ。小生は文章を二度、三度と味読し、映画の一場面さながらの光景にしばしうっとり夢心地となり、これに続く設問を解くのをつい忘れそうになった。登場する若い女性を描写する抑制された筆致がなんとも好もしく思えたのだ。「怜悧」という語をこのとき始めて知った。
このたびの身辺大整理で、五十七年前の試験問題がひょっこり姿を現した。子供心にもこの文章が気になって、どうしても捨てられず、後生大事に半世紀以上もの長きにわたってしまい込んであったのである。
そのときも、そして今も、小生は出題されたこの文章の出典がわからないのが残念でならない。夏の信州が舞台というところから堀辰雄あたりかと目星をつけてみたが、どうもそうではないらしい。なんとなく戦後の1950年代あたりに書かれた文章かと推察するが、文中で重要な役割を果たす岩波文庫版『ジャン・クリストフ』は戦前から流布しているので、年代を特定する手がかりとはなりえない。どなたか博雅の士のご教示を待ち望んでいる。