残暑とは名ばかりで、陽光が容赦なく照りつけるなか、はるばる川越市立美術館まで出向いてきた。今週で終わってしまう展覧会「杉浦非水の大切なもの」をどうしても見たくなって、JRと地下鉄と東武電車と路線バスを乗り継いで、灼熱のなか片道二時間半の小旅行に挑んだのだ。
杉浦非水の展覧会をなぜ川越で?と訝しがる向きもあろうが、非水夫人・翠子は旧姓を岩崎といい、川越の旧家の出だった縁から、第二次大戦で迫りくる空襲を避けるべく、膨大な非水作品がトランクに詰められて川越の岩崎家に送られ、辛うじて難を逃れたという秘められた過去があった。それら千余点の作品が数年前に川越の同家で忽然と出現したのだ。展覧会の副題「初公開・知られざる戦争疎開資料」がそのあたりの事情を明かしていよう。
そんなわけで、この展覧会に並ぶ三百数十点は悉く初公開、しかもすべて非水自身が大切に手元に置き、守り抜いてきた遺愛の品々なのだ――そう思って眺めると、これまで見馴れた三越の宣伝雑誌や東京地下鉄のポスターの数々も、有難味がだんぜん違ってくる気がする。
最も瞠目したのは、非水が心血を注いだ植物写生画集『非水百花譜』(1920–22年初版、1929–34年再版)のための直筆水彩画が七十一枚もまとまって発見されたことだ。百年の時を経ながら保存状態も良好で、これらが後世に伝えられた僥倖を、おそらく誰よりも非水自身が喜ぶに違いない。
非水の回顧展といえば東京で、愛媛で、宇都宮で、繰り返し目にしてきたが、このたびの川越市立美術館の展覧会はそのどれをも凌駕する出来映えである。非水の「自選展」でもあるという有利な側面を別にしても、発見から数年を費やした作品の悉皆調査の成果を存分に踏まえた、多くの新知見を伴う刺激的な展示である。少しばかり遠いからといって、これを見逃すと後々悔いを残すことになろう。カタログの論考も読みごたえが充分。担当された折井貴恵さんの労を多としたい。