日本放送出版協会のムック『エルミタージュ美術館』全四巻を最後に、小生は書籍編集の仕事から離れた。開館を一年後に控えた川村記念美術館から誘われたのが契機となったが、フリーの立場で編集に関わるのはあまりにも悪条件で、もし体調を崩しても生活の保障が得られない状況に嫌気がさしたのだ。海野弘さんとの接触は実にささやかなものだったが、十年ほど続いた編集修業の最後に体験できた思い出深い仕事として、その後も長く懐かしい記憶として留まった。
それから八年後の1996年春、全く思いがけない経緯から小生は海野弘さんと再会を果たす。マガジンハウスの月刊文芸雑誌『鳩よ!』に「美術館 感傷旅行」を連載していた海野さんが、その取材のために編集者を伴って川村記念美術館を訪れたのだ。
数日前に編集部から来訪を知らされた小生は、逸る気持ちを抑えるとともに、美術館の玄関先ではなく、あえて順路の中ほどにあたる二階の大展示室で、彼らの到着を待ち受けることにした。初めてこの館を訪れるという海野さんの第一印象を乱したくなかったからだ。
海野さんは編集者とともに、印象派からピカソ、シャガール、ローランサン、レンブラント、マレーヴィチと、常設展示を順序どおり丹念に鑑賞したのち、半時間ほど経ってから、何やら物思いにふける面持ちで、ゆっくり階段を上ってこられた。
ここからあとは、海野さんご自身の文章をお読みいただきたい。
ポロックの絵を過ぎると、広々としたスペースに出る。フランク・ステラの巨大な三次元絵画が展示されている。現代美術の作品はしだいに巨大なものになってきている。手頃な大きさの、額縁に入った絵という、親しみやすい人間的スケールを破壊し、無限の宇宙と向き合わせようとしているのであろうか。
だが、それにもかかわらず、これらの現代美術のうちに、私はあるなつかしさを感じた。同時代としてこれらの作品を見てきており、しかも、その同時代がすでに歴史の時に入ろうとしているからだろうか。
そんな思いにふけっていて、私は自分の名が呼ばれているのに、しばらく気づかなかった。はじめて来た美術館に知っている人がいるはずはない。
学芸員の沼辺信一さんがステラの部屋で待っていてくれた。「いつかここにいらっしゃると思っていました」といった。おどろいたことに私たちは知り合いだった。ずっと以前に、一緒に仕事をしたことがあった。その後、この美術館に入ったことを私は知らなかった。私たちは再会を喜んだ。はじめての美術館で、思いがけず、古い知人が迎えてくれる。私はこの美術館に無縁ではなかったのだ。こんな時、私は好きな美術をさがして旅をすることに幸せを感じる。
――海野 弘「美術館 感傷旅行㉛ 川村記念美術館」『鳩よ!』1996年6月号
どうです、なんとも素敵な文章でしょう。さらりとした筆致に、しみじみ情感が滲んでいる。実際ここに記されたとおりのことが起こったのだが、小生はまさか海野弘さんの文中に自分が登場することになるとは思いもよらなかったので、届いた雑誌を開いて心底驚愕した。この連載はやがて『美術館感傷旅行 45通の手紙』(マガジンハウス、1997)としてまとめられ、上の文章もそのままの形で収められた。