サイモン・モリソン教授との三日目。
今日は慶應大学日吉キャンパスでシンポジウム「社会主義下の音楽劇」に登壇してのレクチャー。標題は「プロコフィエフの(特にソ連時代の)バレエと、彼の意図の復元という問題 Prokofiev's Ballets, Especially the Soviet Ones, and the Problem of Restoring His Intentions」という。いささか長いタイトルだが、内容はきわめて明確だ。ソ連帰国後のプロコフィエフは完全にスターリン政権の芸術統制下にあり、当局による検閲、文化官僚からの圧力、諸芸術団体の無理解と干渉を恒常的に蒙っていた。したがって、バレエ作品もまた、彼の意図が十全に反映されない形で上演され、不本意な点を含んだまま楽譜が刊行されたのである。
モリソン教授は、まず彼の生涯にわたるバレエ作品を概観したうえで、ソ連時代の《ロミオとジュリエット》《シンデレラ》《石の花》の三作品について、どのような紆余曲折を経てそれらが上演に至り、その過程でプロコフィエフの意向がいかに捻じ曲げられていったかを、いくつもの興味深い実例によって具体的に検証された。
最も衝撃的なのはやはり《ロミオとジュリエット》だろう。当初はモスクワのボリショイ劇場の委嘱で着手されながら、発注責任者が粛清されたため上演計画が頓挫し、やがてレニングラードのキーロフ劇場が計画を引き継ぐ過程で、当初の台本にあった「主役の二人は死ぬことなく、どこかへ逃げのびる」というハッピーエンドが全否定され、シェイクスピアの原作どおり悲劇的な結末に戻されたため、終幕の音楽が大きく書き直される事態が生じたのである。
私たちの知る《ロミオとジュリエット》はそうした顛末を経た妥協の産物にほかならない。モリソン教授はモスクワのアーカイヴでプロコフィエフが書いた第一稿(ハッピーエンド版)を発掘し、それに基づく復元版の上演も試みているので、レクチャーでもことに力をこめて詳述された。小生は幸運にも2008年5月ロンドンで教授による同趣旨のレクチャーを聴講する機会を得たが、今回はさらに研究が進捗するとともに、長い歴史的展望のなかで語られたため、説得力がいっそう増すとともに、示唆するところがさらに大きく感じられた。熱のこもった語り口は、プロコフィエフ研究の第一人者たるゆえんだろう。
全体で五十分ほどのレクチャーだったが、優に一冊の研究書に匹敵する濃密な内容であり、スリリングな展開と未知の情報に心躍る瞬間が連続した。もっと長く、もっと詳しく聴いていたい。これを日常的に受講できるプリンストン大学の学生たちはなんと幸福なことだろう!