長く宮城県美術館の学芸部長を務められ、北九州市立美術館の館長を歴任された西村勇晴(いさはる)さんが1月6日に亡くなられたという。享年七十四。突然の報せに言葉を失うばかりだ。小生は学芸員時代、1999年に開催された「ルノワール展」で構想段階から一緒に携わり、いわば苦楽を共にした間柄であり、出品交渉を兼ねた欧米への長旅にも同行した。小生よりも四つ年長であり、実践経験の豊富な先輩であったばかりか、カンディンスキーを専門とし、ドイツ語に堪能な西村さんは、いつも心強く頼り甲斐のある存在だった。
長身の堂々たる偉丈夫で、それでいて温厚なお人柄の人格者だったから、誰からも慕われ、尊敬されていた。自ら愛車を駆ってどこへでも出向き、いつだったか仙台から佐倉まで運転して来られたのには目を丸くしたものだ。家族思いで子煩悩だった勇晴さんの面目躍如たる美質は、「ルノワール展」カタログで自ら志願してお書きになった子供たちの肖像画の作品解説に滲み出ていたと思う。
つい最近も(昨年11月まで)facebookに近況を綴っておられ、小生の投稿記事にもたびたびコメントして下さったので、お元気だと思っていたが、治療の難しい部位の癌だと聞かされており、ご体調を案じてもいた矢先の訃報である。わが身の一部を?がれたような耐えがたい痛みを禁じ得ない。仙台での再会が叶わなかったのが悔やまれてならない。