拙記事では何度も登場しているサロン・コンサート「カフコンス」も、コロナ禍で当方の足がすっかり遠のいてしまった。前回の訪問は第142回「こどものうた vol. 2 ~イマジネーションの世界」(2019年11月17日)だったらしいから、今日は丸三年ぶりの訪問である。
カフコンス 第153回
ドリング~生誕100年に先駆けて
2022年12月11日(日)
本郷三丁目「金魚坂」
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マデリーン・ドリング(1923–1977)
フルート、オーボエ、ピアノのためのトリオ(1968)
■ アレグロ・コン・ブリオ
■ アンダンテ・センプリチェ
■ アレグロ・ジョコーゾ
シェイクスピアのための歌曲 より
■ 柳の歌 Willow Song(作曲者不詳/ドリング編曲 1960頃)
■ 吹け 北の風よ Blow, blow thou winter wind(1944)
■ 来たれ 死よ Come away, death(1944)
■ 郭公 The cuckoo(1960頃)
■ それは恋する男 It was a lover(1944頃)
オーボエ、ファゴット、ピアノのためのトリオ(1971)
■ ドランマティコ~アッラ・バロッカ~アレグロ・モデラート・エ・デチーゾ
■ 対話
■ アレグロ・コン・ブリオ
(アンコール)
郭公(ソプラノ、フルート、オーボエ、ファゴット、ピアノ編曲版)
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フルート/中村 淳
オーボエ/荒木良太
ファゴット/江草智子
ソプラノ/柳沢亜紀
ピアノ/川北祥子
十時半きっかりに会場のカフェ「金魚坂」に到着。一番乗りだったので、しばし外で待機。入口のドア越しにリハーサルの音が聞こえてくる。マデリーン・ドリング Madeleine Dring(1923–1977)は不覚にも全く存在すら知らない作曲家である。告知の葉書を貰ったとき、拙宅のディスクをざっと点検したが、手元にあったドリング作品はわずかに《ナイトクラブの女主人の歌 Song of a nightclub proprietress》というキャバレー・ソング一曲のみ(デイム・フェリシティ・ロットとサラ・ウォーカーがそれぞれアルバム収録)。小粋で物憂げなソングだが、これだけではどんな作曲家なのか、さっぱりわからない。
実は当演奏会でも作曲者についての解説は一切なし。先入観抜きで音楽だけ聴いてほしいということだろう。でもそれではいくらなんでも辛いので、「カフコンス」ブログに主宰者のピアニスト川北祥子さんが書かれた懇切きわまるマデリーン・ドリング小伝および曲目解説を勝手に書き写させていただく。
今回特集するマデリーン・ドリング(1923–77)は20世紀イギリスの作曲家・女優で、ピアノやヴァイオリンも弾き、歌も歌い、歌詞も書き、イラストや水彩画も描くというマルチ・アーティストです。
母親がメゾソプラノ歌手、建築家の父親はアマチュアのチェロ・ピアノ奏者で腹話術も得意、という環境で育ったマデリーンは、幼少からピアノ、ヴァイオリン、歌、児童劇団で才能を発揮し、10歳で奨学金を得て王立音楽大学のジュニア部門に入学すると、生徒たちの公演での演奏や演技、作編曲においても活躍します(が作品は本格的すぎて同世代の生徒たちには演奏困難だったりもしたようです)。15歳の時には自作のヴァイオリン作品の演奏で学校代表としてBBCの生放送に出演。16歳で正規の学生になると作曲をヴォーン・ウィリアムズ、ゴードン・ジェイコブらに師事、並行して演技とパントマイムも学びます。
そして演劇のクラスで出会ったオーボエ奏者ロジャー・ロード(1924–2014)と23歳で結婚(親しくなったきっかけは彼のオーディションの伴奏だったそう)、一人息子も生まれ、夫はロンドン交響楽団の首席となって活躍します。マデリーンは仕事として舞台やテレビの音楽を書き、女優としても舞台に立つかたわら、歌曲や器楽曲を中心に自身の作品を作曲しますが、彼女が54歳で脳出血(脳動脈瘤)で亡くなった時にはその多くが未出版でした。
さて、マデリーン・ドリングの死後、彼女の作品を広めようと奔走したのが夫のオーボエ奏者ロジャー・ロードです。ロジャーは1942–43年と46–47年に王立音楽大学で学び(マデリーンとは学内で43年に出会い47年に結婚し)ました。途中の空白期間には空軍の軍楽隊に所属(兵役?)、その後いくつかのオーケストラを経て1953–86年にはロンドン交響楽団の首席を務めました。
彼は演奏活動の傍ら、マデリーンの遺した未出版の作品を整理して出版し(今回の曲目も半分は彼によって出版されたもの)、作品を演奏する人や研究する人への協力や支援も惜しみませんでした。かのニュー・グローブ音楽事典にマデリーンの名前が載ったのも彼の働きかけによるものだそうです。妻への愛情だけでなく、すぐれた音楽を後世に残そうという使命感が彼をつき動かしていたのではと思います。
・・・と、まるで映画のようなストーリーなので生誕100年記念に映画化はどうでしょう? それは冗談としても、来年の生誕100年をきっかけとして1つでも多くの作品が出版・再版されることに期待しています。
マデリーン・ドリング特集の1曲目は「フルート・オーボエ・ピアノのためのトリオ」です。マデリーンの夫ロジャー・ロードは「マデリーン自身は歌曲やピアノ作品、そして私のために書いたオーボエ作品で記憶されたいと望んでいたと思う」と語っていましたが、現在マデリーンはまさにこのトリオの2楽章の美しいオーボエソロで知られていると言ってよいでしょう。
この曲はロジャーが所属していた室内楽グループ「ムジカ・ダ・カメラ」の演奏会のために書かれ、1968年の同演奏会で初演された後、同年の(おそらくロンドン響のフロリダ・ツアーに際して)デイトナ国際室内楽フェスティバルで、ロジャーとロンドン響フルート奏者ピーター・ロイド、当時の首席指揮者アンドレ・プレヴィンのピアノでアメリカ初演され、楽譜も1970年に出版されました。(追記:初演のフルートはロイヤル・オペラハウス・オーケストラのHarold Clarke、ピアノはHubert Dawkes)
夫妻の友人でロンドン響にも所属したフルート奏者ウィリアム・ベネットはこの曲を「この編成の最高傑作の一つ」と評しましたが、一方で当時は「批評家たちは無調を敬う作品でなければ却下した(中略)彼女が愛したのは高度に洗練された調性音楽だった」(ロジャー談)という状況でもありました。「イギリスのプーランク」という呼び名にも僅かながら皮肉が感じられます。
しかし50年経った今では、この20世紀の魅力的な作品がいつ書かれたのかはもう問題でなくなってきています。「お洒落」レベルではなく「高度に洗練されている(highly sophisticated)」ことを分かっていただけるような演奏を目指したいと思います (と自分にプレッシャーを・・・)。
マデリーン・ドリングは舞台やテレビ、レビューなどの作品の印象から(やはり僅かな皮肉を込めて)「イギリスのガーシュイン」とも呼ばれますが、生涯にわたって芸術歌曲も作曲していました。イギリスのテノール歌手ロバート・ティアーはマデリーンを「最高で知られざるイギリス歌曲作曲家の1人」と評しています。
生前に出版された歌曲はたった4曲でしたが(マデリーンは4曲目の歌曲の出版の際にポピュラー音楽のように曲を簡略化されてしまって失望し、出版に興味を示さなくなったそうです)、1980〜99年にマデリーンの夫ロジャー・ロードが7冊の歌曲集を出版、さらに未出版だった数十曲(キャバレーソング等が中心)も近年になって刊行されました。シェイクスピア関連では、1944年に王立音楽大学でバリトン歌手Ifor Evansとマデリーンのピアノにより初演された「Blow, blow thou winter wind / Come away, death / Under the greenwood tree」の3曲組が1949年に出版され、ロジャーは4曲を追加して「ドリング歌曲集第1巻・7つのシェイクスピア歌曲」として1992年に出版、現在ではその他に3曲と、「Willow song」(オテロ、作曲者不詳)の編曲も入手できます。
ロジャー版で追加された4曲は、初演の3曲と同時期に書かれた「It was a lover」と、「The Cuckoo」など1960年代頃の3曲です。「It was a lover」は最後を飾るにふさわしい曲なので、初演の際は同じ位置付けの「Under the greenwood tree」とどちらか1曲しか入れられなかったのかもしれません。20歳の意欲作に比べると後年の3曲はシンプルながら、それぞれ特徴的で曲集を彩っています。
ロジャーは宝の山(遺された膨大な楽譜)からシェイクスピア作品を探し出し、年代の違う曲も出版済の曲も1冊にまとめて私たちの手に届けてくれました。私たちもこの曲集の素晴らしさを皆様にお伝えできたらと思います(とますます自分にプレッシャーを・・・)。
さて、その貴重なもう1曲「オーボエ、ファゴット、ハープシコードのためのトリオ」は、イギリスのAthenaeum Ensembleの演奏会のために1971年頃書かれ、1972年の同演奏会で初演、マデリーンの死後、1986年に「オーボエ、ファゴット、ハープシコード(またはピアノ)のためのトリオ」として出版され、その後「オーボエ、ファゴット、キーボードのためのトリオ」に改められました。
曲は全3楽章で、1楽章は緩-急のバロックの序曲風、2楽章では空虚な「対話」が繰り広げられ、終楽章は爽快な5拍子です。マデリーンは8分の5拍子がとてもお気に入りで、理由は自分の名前のリズムだからだとか。← Madeleineが8分音符3個、Dringが4分音符1個だそうです。マデリーンドリング、と9拍子で読んではダメですね・・・
曲の最後には「as bells」と書かれています。Madeleine Dringの名を鐘のように響き渡らせ、来たるべき生誕100年をお祝いしたいと思います!
来年の生誕100年に全力で推したいマデリーン・ドリングさんですが、今回演奏するトリオ2曲以外はほぼ全て小品なので特集は今回1回限りです。ぜひ今週末のカフコンスにご来場ください!
この熱のこもった前説を読んだらもう、コンサートに駆けつけずにいられまいて。そのせいもあってだろう、今日の「カフコンス」は大入り満員、カフェの一階に並べられた二十席が早々と埋まった。
初めて耳にするマデリーン・ドリング作品はどれもこれも瀟洒で垢抜けていて、ウィッティでペーソスに富む。「英国のプーランク」の異名どおり、たしかによく似たところがあり、「七人目の〈六人組〉」とすら呼びたくなるのだが、ドリングにはドリング固有の個性も備わっていて、川北さんがいみじくも述べられたとおり、「お洒落」なだけの音楽に留まらず、「高度に洗練されている(highly sophisticated)」芸術性がまざまざと看取される。
来年のドリング生誕百年は賑々しく祝われるだろうか。本国ではそうかもしれないが、この極東の島国でそれに先駆けて、こうしたコンサートが企てられたことが誇らしくてならない。「カフコンス」の面目躍如たる四十五分間だった。
奏者たちは全員が安定した技量と優れた音楽性の持ち主。安心して音楽に身を委ねることができた。
アンコールで奏された《郭公》がお誂え向きにソプラノ、フルート、オーボエ、ファゴット、ピアノのために書かれていて、譜面台には印刷譜があったので、終演後に川北さんに「顔ぶれにぴったりの編曲版があったのですね!」と声をかけたら、「今日のためにわざわざ編曲したの!」というお答えだった。
まさしく入念に準備され、贅を尽くした演奏会であることが、この一事からもわかろうというものだ。